- 小山翔太郎
自分の人生を選んでいきたい、自分の人生を歩んでいきたい
末っ子長男で家族からも大事にされ可愛がられて育った小山翔太郎さんは、就職活動をする中で、恩人から「小山君は自分で選択をしてきていない」「自分の人生を歩んでいない」と指摘されたと言います。薄々気づいていた“周囲に流されて生きてきた”という事実と改めて向き合った時、幼い頃からビジネスパーソンとして憧れていた父親の存在の大きさに気づき、「その父親を超えたい」という自身の想いにたどり着きます。
さまざまな縁で出会い、3年生の冬からインターンをしていたベンチャー企業に新卒として就職することを決めた小山さんは、そこから自分らしさを武器に、世の中の経営者に自ら営業をし、経営者たちとともに働くキャリアを歩み始めます。
小山さんにとって、“経営者と仕事をする楽しさ”とは。その境地にたどり着くまでの失敗談、普段から意識していること、目指すビジネスパーソンのイメージ像とは。いつもはインタビュアーとして活躍する小山さんに、今回はインタビュイーとしてお話をお伺いしました。
インタビュー実施日:2018年5月16日(らしくインタビュアー渡辺)
目次
■「経営者とお仕事をする仕事をしている」が、友人に仕事について訊かれた時の回答
――今のお仕事についてお伺いできますか? 例えば、友達に「今、どんな仕事をしているの?」って訊かれたら、どう答えていますか?
それ、いつも悩むんですが……(笑)。というのも、非常に伝わりづらい職種だなと思っていて。まずは「企業の社長とお仕事をする仕事をしている」と伝えています。
友だちに説明する感じでお話をすると、「実は、2つのことをやっていて」と前提を伝えて、「1つは社長限定のインタビューメディアサイトの運営と、もう1つは社長営業をやっているよ」と説明します。「社長に営業する仕事だよ」って。「いわゆる普通の部署で働く社員の方に対してではなくて、組織のトップ、経営者に対して営業をする仕事なんだ」って。
――なるほど。具体的には、どういう事業内容になるんでしょう?
社長のインタビューを掲載するメディアサイトは、実は基本的に無料(※一部有利のお客様もいます)で運営しているんです。無料でインタビューをするということは、「どこでお金をもらっているの?」っていう話になると思うんですが、僕らはインタビューを実施した際に、社長さんのお悩みを語ってもらうことが多く、一緒にお預かりするんですね。
そのお預かりしたお悩みに対してソリューションや解決策をもっている企業さんが世の中にはたくさんいるので、そういった企業の中から選りすぐりの1社を僕らが選んで、その社長様に紹介と提案をさせてもらっているんです。まさに、その悩んでいる企業さんと解決策をもっている企業さんをマッチングする、“ご縁を育むこと”が僕らの仕事だと考えています。
――なるほど! ……お友達には、確かに説明が難しいかもしれないですね。ビジネスモデルというか、その仕事の全容について。しかも、周りのお友達とかも新卒ですもんね。
そうですね。僕の友達にはベンチャー企業に入社した人が少なくて、みんな、「金融系」や「人材系」といった表現で自分の仕事を説明するんですよね。なので、その流れに乗って、「僕が勤めている会社はITベンチャー系だよ」って簡単にまとめたりしています。
■経営学の授業の初日に、今の会社の社長が講演に来た。それが、この会社に入ったきっかけ
――そのきっかけをお伺いしたいです。そもそも、オンリーストーリーという会社はご存じでしたか。
知らなかったです。そもそものきっかけをお話しすると、大学の起業家講演会に弊社代表の平野が来た、というのが僕とオンリーストーリーとの最初のご縁でした。僕はもともと英語学科の学生だったんですね。英語の文学とか英語のコミュニケーション学とかを専門に学んでいました。でも、「就職するんだから、まあビジネスも学んでおこう」と思って。
3年生の後半から、ビジネス系の経営学の授業を受け始めたんですが、その授業を初めて受けた時に、平野が講演に来た、っていう感じでした。
――それがオンリーストーリーっていう会社を知ったきっかけ、と。平野社長のお話を聞いて、「これは面白い」と、ピンとくるものがあったんですか?
平野の話を聞いて2つ、面白いなと思うところがあって。
1つ目は経営者と仕事をする、経営者にインタビューする、ということ。というのは、普段僕らが経営者、社長に会える機会って、なかなかないですよね。それができる、という点に学生ながら惹かれました。
2つ目は純粋に、世の中の社長たちとお仕事をして、社長たちに営業できる。社長たちとビジネスの場をつくれる、という点に僕は魅力を感じたんですね。
――この4月に新卒として入社なさったばかり、と伺ったんですが、それで間違いないですか?
そうです。新入社員、新社会人です。でも、もともと大学3年生の1月からインターンとして働いていたので、オンリーストーリーで働いているのは1年半くらいです。
――インターンとして働くようになったきっかけも教えていただけますか?
平野が講演会で「インターンを募集しています」って言ったんですね。それを聞いて、平野と直談判しまして。
――平野社長はどういう反応だったんですか?
「ああ、いいよー」って。
――ゆるいですね(笑)。
「いいよ、いいよ。じゃあ、連絡先を交換するから、うちの人事とつなぐね」みたいな。そんな感じでしたね。後日、その当時に人事を担当していた方と面談して、インターン生として会社に入った、というのが経緯です。
――ちなみに、講演会を聞いている学生はどれくらいの人数がいらしたんですか。
80、90人くらいいたと思います。大きな規模の授業での講演会だったので。
――90人が平野社長の話を聞いているわけなんですね。実際に、その場で「インターンをやらせてください」って言った学生は何人ぐらいいたんですか? ご存じですか?
僕を含めて2人だったらしいんですね。これは言っていいのかわからないんですけど、もう1人の方は頓挫されたそうで、入社に至ったのは僕だけでした。
人事の方と面談をして、「こういう業務してもらいますよ」っていう説明をしてもらって、僕は僕で「御社で仕事をするって決めているんで、やります」って。
――そうして実際に勤務が始まった、と。当時、オンリーストーリーさんには、どれくらいのメンバーがいらっしゃったんですか?
今でこそ30人ぐらいいるんですけど、その当時は8人くらいでしたね。代表の平野と取締役の川角がいて、あと人事が1人と、インターン生が5人くらいいたんじゃないかと思います。
■「何とかして、この仕事をできるようになりたい」と思って初日は終わった
――最初の仕事って覚えていますか?
覚えています。さきほどお話ししたとおり、中小企業の社長の皆さんのインタビュー記事の原稿を見て、誤字がないかをチェックしてくれ、と言われたのが初めての仕事でした。
5本くらいの原稿に目を通して、初稿で上がってきたものと最終的にアップするものの相違がないかをチェックする、っていうのが、最初の仕事だったと思います。
――インターンを始める動機となった、“社長に会いに行く”仕事のデビューについても教えていただけますか? 最初から1人でいらしたんですか?
いえ、最初は先輩に同行させてもらったのが現場デビューです。
――どんな心情でした? わくわく? それとも、緊張していた?
僕、もともと“緊張しい”なんですけど、当時も緊張していたかもしれないですね。
千葉県の柏にあるシステム会社の女性社長さんだったんですけど、子育てしながら社長業をなさっていて、家計と社長業と両方を両立させなければいけないという方だったんです。とても素敵な人柄だったのを覚えているんですが、その方が「私は仕事をきついと思ったことはなくて、いつでも全力で、常に崖っぷちに立っているような気持ちで仕事をしている」とおっしゃって。その言葉は今でも印象に残っています。
今振り返ると、その方が僕の初めての仕事で出会った社長さんで良かったです。
――そのデビューの社長訪問は、インタビュアーとして訪問なさったんでしょうか?
いえ、その時は先輩社員がインタビューをして、僕はカメラマンでした。
――ちなみに、カメラを扱ったことは、それまでにもあったんですか?
全然なかったです。興味なかったんで(笑)。
――なるほど、では、カメラマンとしてもデビューだったんですね。いかがでした? 実際に現場に出て、「やっていけそうだ」っていう手応えはあったんでしょうか。
「やりたい」という気持ちがただただ強かったですね。「何とかして、できるようになりたい」と思って、初回は終えた感じでした。
■1度目の独り立ちは失敗。「うまくいくだろう」と思っていたが……、想定が甘かった
――独り立ちするまでに、先輩との同行は何回くらい経験するものなんでしょうか。
最近の新人には2~3回の先輩同行を経て独り立ちさせるんですが、当時、僕は6回くらい同行してもらったと思います。しかも1人の先輩だけじゃなくて、別の先輩3人くらいにも同行させてもらって、現場で十分に学ばせてもらってから、やっと最終的に独り立ち、みたいなスケジュールだったと思います。
――独り立ちのことは覚えていますか?
めちゃめちゃ覚えています。鮮明に。
――どうでした?
1つ谷があって山がありましたね。日程が決まって、「さあ独り立ちだ」となったんですけど、端的に言うと1回目の独り立ちは失敗してしまいまして……。
先輩にはついてきてもらうけど、何もしないで見守ってもらう、という状況下で、僕が一通りの仕事を担当する、ということになったんですが、まぁ、“オオコケ”しちゃったんです(苦笑)。
空気のつくり方からトークから、オオコケしたんですね。インタビューをしようにも、インタビュアーである僕自身がおぼつかないない状態でしたし、例えばキーワードを拾えなかったり、話をまとめることができなかったりして、相手の社長さんも「君、何を質問しているの?」って怪訝な顔になっていっちゃったのを、覚えています。
インタビューを実施した後に、社長に他の企業の紹介・提案をするんですが、その提案が本当に刺さらない、刺さらない……。現場の空気感が、「インタビューすらNGになるんじゃないか」みたいな感じになってしまって。
――それはそれは……。先輩との帰り道はどうでした?
僕はどちらかというとメンタルが強い方なんで、普段からフィードバックをめちゃめちゃいただいて、「ありがとうございます」みたいな感じだったんですが、さすがにその日は落ち込みました。
――自分ならできると思っていたんでしょうか。
思っていたんでしょうね。「うまくいくだろう」と。想定が甘かったんですね。
――反省して、どうしました?
僕なりに失敗した理由を考えたんですけど。いわゆる保険の営業さんを例えに出すと、現場、お客さまの前に出るまでに、1か月間くらいトレーニングの期間があるじゃないですか。僕はそこをすっぽかして、現場に出てしまったんですよ。
つまり、知識はインプットしたものの、ロールプレイとか、営業トークの練習とか、アウトプットの練習は全然していなかったんですね。それでいきなり本番に臨んでしまったんです。それが原因でコケた、っていう要因がわかったので、次のチャンスをもらうまでに、何度も先輩をつかまえては、「ちょっと時間をいただいてもいいですか」「ロープレさせてもらってもいいですか」とお願いしてまわりました。
そこでやっと火がついて、二度目の独り立ちの日が来ました。
――二度目のチャンスはどうなったんでしょう?
当初は先輩に同行してもらう予定だったんですけど、急きょ、「今日、体調が悪くなったから、1人で行ってくれ」と言われたんですね。後から聞いた話では、先輩は仮病をつかったらしいんです。「1人でやらせた方がいいんじゃないか」という判断だったらしく、結果的には僕1人で社長のもとに行かせていただいて。
その時、トレーニング期間の成果って出るんだな、と思いました。1回目とは全然違うレベルでインタビューもできて、社長の話も楽しく聞くことができたんです。
――そうすると、今度は先輩こそいないですけど、訪問からの帰り道は全然違うものになった?
そうですね。手応えもありました。その社長さんとも仲良くなれましたし。インタビューの後の営業のパートでもいい提案ができました。
――それが入社からどれくらいの出来事ですか?
1ヶ月後ですね。大学3年生の1月からオンリーストーリーに通い始めて、2月の中旬の出来事でした。
――そこからは順調にいきました?
順調ではなかったです。新しい営業アポ獲得が、なかなかうまくいかなくて。
■4か月目でやっと、経営者から他の経営者を紹介してもらえるようになった
オンリーストーリーのいいところは、インターン生に責任の所在があるという点なんですね。インターン生に対して、「アポが取れても取れなくても、それはあなたの努力次第であり、かつ責任ですよね」というスタンスなんです。なので、いつまでも先輩に同行させてもらっていればいいわけではないので、初めてのインタビュー成功の後は、「何とかして、自分でアポを獲得しなければいけない」っていう日々が続きました。
――そうか、自分で仕事を見つけなければいけないんですね。アポを獲得して初めて、営業に行ってインタビューをさせてもらえる。その機会をインターン生だとしても、自分で見つけなければいけない、と。
そうです。最初の2ヶ月はやっぱり全然アポが取れなくて。せいぜい毎月2件取れるかどうか、だったんですね。例えば先輩は8件とか10件とか言っているのに、僕だけアポが入らないので、オフィスでデスクワークばかりしていて。先輩が外出している間、1人でテレアポをしたりする期間がありましたね。
――今でこそアポもたくさんで、お忙しく営業されている日々だと思うんですが、ターニングポイントはあったんでしょうか。
ターニングポイントは3か月目くらいだったかと思います。4月くらいから、お客さまを紹介してもらえるようになったんです。
――それは会った社長さんから「こういう社長さんいるよ、紹介しようか」っていうことですか?
そうですね。
――なるほど、まさに“ご縁”ですね。それは意識して、しかけていたんですか?
その時は意識だったかもしれないですね。でも、4か月目から、当時の自分は言語化していなかったですけど、“ご縁がつながった”っていう状況が生まれ始めたんですね。
今でこそ、お客さんになりそうな人を紹介することは当たり前にできるんですけど、その当時は僕が抱えているお客さん数の母数もなかったので、なかなか“ご縁をつなぐ”ということができなくて。ただ、たまたま、ある日、社長さんを訪ねたら、その社長さんのニーズに合う方に3日前にインタビューをしていて。「〇〇さんっていう社長さんをご紹介しますね、ご縁をつなぎますね」っていうことができたんです。
そうしたら、その社長さんが、「小山君に紹介したい△△っていう社長がいるから」と、その場でまた別の社長さんを紹介していただいて。さらにその紹介してくれた社長さんが、また別に2人の社長さんを紹介してくれたんです。
――すごい!
そういう感じで、訪問できる数も増えていって。1か月の社長訪問がたった2件だったのが、5件になって、またさらに増えていった感じですね。
――ちなみに、一番多い月ってどれくらい行くんですか。
今なら、たぶん15件くらいですかね。
――ちなみに、当時、大学3年生の頃、就職活動はしていたんでしょうか?
最初はしていました。結婚式場でずっとバイトをしていたので、ウエディングだけに業界を絞って、就職活動をしていました。ウエディング業界って、採用活動が始まるのが早いんですね。2月にはもう始まるので、オンリーストーリーに通い始めたのが3年生の1月で、その翌月2月から就職活動とインターンを平行してやっていました。6月くらいまで、就職活動は続けていましたね。
――結果的には? 内定も出て、迷ったりしたんですか?
いや、実は内定をもらう前に、僕は就職活動をやめたんですよ。
■就活の中で気づき始めた、父親の存在と、その父親を超えたいという想い
――それは、なぜ?
端的にいえば「オンリーストーリーで働き続けることに決めた」っていうのがあるんですけど。
でも背景を全部話すと、「父」の存在が大きいんですよね。就職活動をしている中で、「父を超える」っていう将来の目標が明確になってきたんです。
――就職を考えた時に、お父さまの存在を意識し始めた、と。
僕にはすごいビジネスパーソンの父がいまして。今は上場は廃止してしまったんですが、大手オフィスコーヒーメーカーの取締役を務めていたんですね。父は、まさにゴリゴリの叩き上げなんです。営業マンの1人として入社して、約何千人という中のトップを走り続けたまま、営業部長、所長、とどんどんステップアップして、最終的に取締役っていう立場に上りつめた人物なんです。
――おお、すごいですね。
社名は伏せさせていただくんですが、その会社の大きな事業部を立ち上げたのが、実は僕の父親で、今、何十億という売上を出している部になっているんですね。その部の立ち上げを父が1990年代前半にやって、それの実績を認められて取締役にステップアップしているという、そういう父親なんです。
その父親を超えたいな、って思った時に、それまでの就職活動って、ちょっと違うかな、って思い始めたんですよね。
■恩人から「小山君は自分の人生を選んできていない、自分の人生を歩んでいない」と指摘された
――「ちょっと違うかな」と思い始めてから、インターンをしていたオンリーストーリーに入社を決めた心の変化を教えていただけますか?
まさに“恩人からの言葉”ってあるんです、っていう話なんですけど。
“人に夢を与える”みたいなことをされていらっしゃる柚木昌宏さんという、一部では有名な方がいらっしゃいます。その方を、とあるご縁でご紹介いただいたんですね。柚木さんって、元外資系企業のトップセールスの方で、ご紹介いただいてお会いした後も、また何度かお会いさせていただいて仲良くしていただいていて。
6月末ですかね、就職活動にある程度の区切りがついた時点……、ただ、まだ内定はもらってないっていう状態でした。柚木さんにちょっと相談したいと思って、事務所を訪ねたんです。朝7時だったと思うんですけど、本当に早朝から相談に乗ってもらって。
僕、普段からあまり人には相談をしないんですけど、柚木さんに相談した時に、「小山君、自分の人生を選んできていないよね」って言われたんですね。「自分の人生を歩んでいないよね」って。
家族構成の話になるんですが、僕は末っ子長男なんですけど、上に歳の離れた姉が2人がいて、めちゃめちゃ甘やかされてきまして。そういう環境で、小学校、中学校、高校、大学って、中途半端な生き方をしていたんです。
端的にいえば、親の言うことを聞いて生き、親がそうした方がいいよって言えばそれに従う、みたいな感じ。そんな生き方のまま、周りに流されるように小学校から大学まで過ごしてきてしまったんですね。柚木さんに相談する中で、そんなことを、つまり家族構成や学生時代の話をしたんです。それを聞いて柚木さんは、「小山君って、自分で決断してきた経験が少ないんだ」みたいなことをおっしゃって。僕はそれを聞いて、「あ、なるほどな。確かにそうだな」って思って。
――相談なさって、指摘を受けて、それを受け止めたわけですね。「核心をついているな」って。
その同じタイミングで、父も大手の企業の紹介を僕にしてきてくれてて「ここだったら内定出るぞ、紹介してやろうか」とか。要するにコネですよね。
父は、仕事での繋がりで大手の会社を僕に紹介してきていたんです、「こんな会社もあるぞ」と。でも僕は、そこで父に乗っかりたくないとすごく思って。だからこそ、自分の好きなところで働きたいな、と思っていたんですけど。
でも実際、ウエディング業界も蓋を開けてみたら配属のリスク等があったんですよね。それこそサービスの部署に飛ばされるとか。僕はマーケティング営業がやりたかったんですけど、必ずしも、その分野に行けるとかは限らない。ウエディングで得たものっておそらくウエディングの業界で通用するものなのかなと、その時は感じまして、上を目指すとしても上まで登っていくのに時間がかかるし。「そういうのは、めちゃめちゃ大変だなぁ」って気づいたんです。
――気付いたんだ(笑)。
そのタイミングで柚木さんという方の言葉に気づかされて、改めて「自分で決断していないよな」っていうのと、「父親が進めるままに大手に進んだら、このまま人に流される人生になっちゃう」って、危機感を覚えたんです。
そこで改めて、「自分は何がしたいんだろう?」って考えた時に、家族構成とか見直していく中で、「父親ってこういう人だよな」「あ、そうか、自分は父親みたいに一流のビジネスマンになりたいんだ」って気づいていって。
上場前に入社して、一部上場まで引き上げた父。僕が小さい頃から1番身近にいた存在。活躍しているビジネスマンの父を見続けてきて、「家庭を支えてカッコいいな」って思っていたんですね。自己承認欲求みたいな感じなんですけど、「こんな父を超えられたら、すごいんじゃないかな」って。「そうなれたらいいな」って思ったのが、ベンチャー企業であるオンリーストーリーに入社を決めた経緯、きっかけですね。
■自分を変えたいと思った。父親を超えることができたら、変われると思った
――柚木さんから言われた言葉って、人によっては結構グサッと傷つく内容じゃないかな、と思うんですが、小山さんは「なるほど、そうだな」って思えたんですか?
僕もたぶん、自分で、薄々気づいていたんだと思います。
――「やっぱりそうなのかな」って?
中学の時、僕、結構身体が小さくて。野球をやっていたんですけど、パワーとか実力とかでかなわない、っていうのをその時から感じていたんです。その時に“見下される”というか、チームメイトから「お前ってそんなもんだよね」って見られてきた経験があったんですね。
そういうのも変えたい、っていう想いもあって。「どうやったら自分を変えられるのかな」って考えていった先に、「上場企業役員の父親を超えることができたら、すべてがひっくり返るんじゃないか」みたいなことを考えたんですよね。
――なるほど、お父さまの存在を意識し始めた時と、柚木さんから指摘された時と、タイミングが重なって、ご自身の中で結論が見え始めたんですね。そういう話、お父さんとされました?
結構しますよ。
――お父さまはどういう風に返すんですか。
「あんまり焦るなよ」みたいな感じです(笑)。
――「こういう会社だったら内定出るぞ」っという紹介もあったじゃないですか。でも「違うんだ」って断って、「オンリーストーリーに入るんだ。ウエディングもちょっと違うと思ったんだ」って決断をした。その時のことはお話しされました?
しました。
――お父さまの反応はいかがでした?
心配そうな顔をしていましたよ。父親もそうですが、母親も元保険の営業ウーマンなんですよ。営業畑の両親で、それなりに稼ぎもあって、2人とも安定していたんですね。だから「安定した職を選べ」みたいな空気があったんですね。
ウエディングの仕事は安定そのもので、定休ももらえるし、クビにならない限りは、ちゃんと仕事がある。だから「そういう道に進むんだろう」と思っていたら、突然、インターンしていた会社に入りたいなんて言い出したわけですから、たぶん心配だったんだろうと思います。
――心配が反対に変わることはなかったんですか?
まあ……、ちょっとは言われました。「お前、何でそういうところを選んだんだ」とか「福利厚生とか大丈夫なのか」とか。
――どう返しました? それに対して。
「自分で決断したことだから」って。
――カッコいい! それを聞いて、ご両親も、「じゃあ、そうか」と納得なさった?
最初は納得していなかったと思うんですけど、僕が頑なに考えを変えなかったんですよね。「ここで両親の意見に従って折れたら、僕の人生、また“こっち”に戻っちゃうな」と。
――“こっち”というのは、人に流される人生のことですね?
そうです。逆のサイド、自分で人生を選ぶ生き方に進むためには、もう自分の決断を信じた人生を突き進むしかないな、と思ったんですね。例え、それがオンリーストーリーじゃなくても、自分で決めた会社に入ろうと思っていたので、「僕が決めたから別に関係ない」「僕が正解にする」「自分で選んだから自分でそれを正解にするしかない」みたいな感じだったと思います。
■内定通知の代わりに代表から言われていたのは、「うちにおいでよ」というシンプルな言葉
――オンリーストーリーに入ろうと思った時に代表の平野さんは「うちにおいでよ」みたいな話はあったんですか。
そんな感じでしたね、今、渡辺さんがおっしゃったようなノリというか雰囲気で。「うちにおいでよ」って。
新卒の社員は僕の他に2人いるんですけど、この2人については、平野は「口説き落とした」って言っているんです。でも、僕は口説かれたという意識がないんですよね。もちろん、口説いてもらったはずなんですけど、“説得”みたいな感じじゃなくて。「オンリーストーリーこそがお前を求めているから」みたいな感じで、たぶん10分間くらいだったんです。
他の同期への説得は何ヶ月とかかっているんですけど、僕はなんか一瞬のフレーズだった。だから、そう言われた時も、「社長、本気じゃないな」って思っていたくらいです。正直に言うと。
――なるほど、“内定通知”っていう感じではなかったんですね。
「うちにおいでよ」ですからね(笑)。最初は「そんなスタンスで考えてくれているんだな」程度だったんですね。でも、そう言われてから1か月くらいして、またしても同じことを言われたので、「あれ? ちゃんとそういう感じなのかな」と思うようになって。自分の進路は自分で決めると決めていたので、最終的には「平野たちと一緒にやりたい」と選びました。
結局は、人と事業内容と両方ですね。この人たちと働きたい、と思える人がいて、経営者と仕事をしたい、という想いを実現できる事業があって。大きくこの2つで、入社を決めました。
■日常生活では絶対に会えない人に会える特別感。オンリーストーリーで働く、1番のやりがい
――「経営者と一緒に仕事がしたい」っていうのは何かどこから来たんですか。やっぱりお父さまの影響があるんでしょうか?
いや、当初は父の影響はそんなになくて。インターンとしてオンリーストーリーに入ってから、経営者の方々と仕事をすることの楽しさがわかってきたんです。“普通じゃない人たち”に会えるという楽しさ、みたいなものです。
こういうことを言うのも失礼な話ですが、普通、一般の営業は社員様に対して、社員同士で打ち合わせするじゃないですか。
――「〇〇会社の係長さんとアポ取れました!」みたいな商談ですよね。
そうです。でも、僕らはそういった“普通”の商談ではなく、経営者と直接仕事ができるので、特別感を自分の中で感じられるんですよ。それこそ、昨日・今日は、上場企業の社長とお仕事をさせていただいていたんです。インタビューをさせていただいたんですが、言っても僕は“新卒”なんですよ。普通に考えたら、新卒の営業マンが上場企業の社長と直接仕事できるなんて、できないですよね(笑)。
――できない(笑)。それこそ就職活動の最終面接で、「あ、あの社長とお会いできた」って言えたらいいくらいですよね。
ですよね。だけど、この仕事をしていると、一緒にお仕事ができる。この特別感は僕にとってとても大きいですね。日常生活では絶対に会えない人に会える。これはオンリーストーリーの仕事だからこそ得られる経験であり、価値観だと思います。
あとは……、自分で言うのも気が引けますけど、仲良くしてもらえる率も、僕、比較的高いんですね(笑)。社長さんたちと仲良くしてもらうと、ご飯を一緒に食べていても面白い話になったり、特別な価値観を教えてくださったり。それこそ、会わせてくれないような人に突然会わせてくれる、なんていう経験を何度もしてきたので。経営者って面白いなって。
――学生から社会人に切り替わる時、今年の4月ですよね。小山さんも仕事自体は変わらずとも、学生インターンから社会人になったわけですが、そのタイミングで、自分の心境の変化はありましたか?
それでいうとあるようでないです。でも、ないようであるのかな。
働き方は全然変わってないです。もう4年生の最後なんかは、ずっとオンリーストーリーで働いていたんです。インターン生として週5で。だから、日々の過ごし方みたいなものはあまり変わりはなかったんです。
でも、マインド面では、社員としてお金をいただいているので、「数字は意識せにゃあかんな」という気持ちにはなりました。
――なるほどね。
あとは、「この会社を大きくしなきゃいけない」とか、「バリューを出さなきゃいけない」とか、そういう意識も強くなりましたね。
――そこは、インターンの頃と全く違うマインドと意識があるんですね。
インターン生だと、「まだインターン生だし」みたいな甘えがあったのかもしれない。でも今はそうではなく、「社員として、お金をいただいている1人の人間としてバリューを出さなきゃな」っていうマインドにはなりましたね。
■経営者と仲良くなれる秘訣は、3つのスポーツに精通していること?
――「経営者の方と仲良くなることが多いんですよね」とサラリとおっしゃったんですけど、コツはあるんですか? あるいは「自分の中の、この要素がそうさせる」みたいなものは?
それが僕も言語化ができていなくて。何ですかね……。
あ! 僕、体育会系の社長と仲良くなる率がめちゃちゃ高いんですよ。理由の1つとして僕がスポーツ好きだっていうのがあると思うんですけど。基本スポーツが好きだから、話題が合わせられるんですね。だから仲良くなりやすい。入口として共通の話題を持っている、っていうのは大きいと思います。
僕は野球部出身なんですけど、サッカーも大好きなんです。野球とサッカー、この2つのトピックスが来た時には、何でも話ができるぐらいの知識は備えていますね。あとは親友がアメフト部出身だってこともあって、アメフトの話もできます。だからこれらどれかのスポーツが好きな社長とは仲良くなる率はめちゃめちゃ高いんです。
――なるほど! 共通の話題がある、っていうのは、確かに人と人を近づけますよね。
あとはよく言われるんですけど、「可愛がられるよね」みたいな(笑)。社内のメンバーから言われることがあるんですけど、そこは本当になんでか僕もわからないです。
――ご自身では、あまり意識はしていないんですね。
もしかしたら気質的なものかもしれない。“末っ子長男”という、もともとの雰囲気を出しちゃっているのかな。自分で言うのもとても恥ずかしいんですけど(笑)。
――いやいや、大事なことですよ。ちなみにご自身では、「こう見られたい」と思うイメージとか自己像とかってあるんですか。
「こう見られたい」?
――それこそ「可愛く見られるよりは、カッコよく見られたい」とか。
それで言うと僕、めちゃくちゃナルシストなんで、めっちゃカッコよく見られたいですよ!
――素敵! 言い切りましたね!
ちなみに僕、スーツが好きなんですね。だからスーツもピシッと着てキメますし、髪も7:3でいつでもピッと分けますし。
――髪型については、「ウエディング業界を目指していたからかな」って思いつつ、後で突っ込んでお伺いしようと思っていました。
ウエディング業界を目指していたっていうのもありますね。でも単純にスーツも好きです。保険の営業マンさんの見られ方っていうのが、僕、好きなんですよ。パッと見て綺麗なんですよね。綺麗なものとか、カッコいいものが好きなんです。
――すごく素敵。
あと、やっぱりもう1つあるのは、父親の像なんです。父もスーツをバシッて着て、仕事をする人だったんですね。僕が小さい頃から、朝からスーツを着こなして、CROWNに乗って、ブーンって仕事場に向かう、みたいな。そういう父の姿をずっと見続けてきたから、「働く男像ってこういうもんなんだな」とイメージを築いてきたんだと思います。父も髪をオールバックにして、キメていましたしね。ネクタイの結び目をクッと締めて、少しだけ浮かせるっていうのも、スーツを着こなしたい、っていう想いから、常に意識していますね。ついつい、触っちゃいます。
――お父さまの影響って大きいですね。
それがビジネスマンのあるべき姿だと思っていたので。
■英語を勉強して身についた“相手の目を見て、話を聴くこと”。インタビューで役に立っている財産の1つ
――ちょっと日々のお仕事について、お聞かせください。インタビューを経営者にするっていう仕事の中で、どんなことを心がけているのかなっていうのを知りたくて。
いやー……、めちゃくちゃ難しいですね。
――何を日々心がけているのか、あるいは、意識しているのか。
“傾聴力”ですかね。純粋に聴くこと、だと思います。聴くこととリアクション、反応することは意識しています。
――それはインタビューの仕事を始めてから意識するようになったんですか? それとももともとそういう素質を持っていらっしゃった?
どうなんでしょうかね。もともと僕はお喋りな方ではないんです。今日はインタビューを受ける立場なので、かなりお話ししていますけれど。
社内でも飲み会の時は、隅っこにいます。お酒、自ら積極的には飲まないんです。なので、隅っこにいたりするタイプなんですけど。そんなに喋る方じゃなく、どちらかというと人の話を聴いていますね。
あとは英語を学んでいた経験もすごく大切な資産になっていますね。英語で会話する時って、相手と目を合わせていないと、話が入ってこないんです。それが癖になっているからか、僕、日本人でも、人の話を聴く時は絶対、目をずっと見ていますね。
――それは、超大事だと思います! 私も英語については全く同感です。耳だけじゃ情報を収集できないですよね。
ネイティブではないので、内容が流れていっちゃうんですよ。「ちゃんと聞かなきゃ」と思うので、相手の話している目を見る。英語学科を卒業して得た財産の1つですね。
――どうして英語を勉強しようと思ったんですか。
それは端的に中学校の時から英語だけ学力が高かった。英語が確かに得意だったので好きだった。
――「英語を勉強して、海外に出たい」とかそういう夢があったわけではなく?
高校と大学の時は思っていたんですけど、それこそ中途半端なんですよ。さきほど言ったとおり、頑張りきれないんです。これは僕の弱点です。「留学に行きたい」とは言うものの、そのために勉強しようとなると、結果そんなに熱意ないから頑張れない(笑)。
――正直だなぁ(笑)。
1か月だけ、ハワイに留学したんですけどね。1か月、っていう短期間が自分らしいと思うんですけど(笑)。
――羨ましい(笑)。では、「将来、英語を使う仕事に就きたいな」っていう夢は特になかった、と。
漠然と「英語を使えたらいいな」とは思っていましたけど。インターンしてみればおのずと気づくことなんですけど、日本でビジネスしていると外資系とか商社とかで働いていない限り、英語を使うことはそうそうないですよね。
だから、今、そこは割り切っています。英語を使うことに対して固執はしていないですね。逆に、一流の営業マンになることや、父のような社会人像を目指す方が最優先だと。営業力を磨く方が世の中的なニーズを見ても大きいので。そっちを目指そう、と決めました。
■父親を超えるためにも、今の会社を父親が上場に引き上げた企業のように大きく成長させたい
――今後、目指す方向性をお伺いしたいんですが、ご自身のキャリアビジョンをどう描いていますか?
僕、“夢”って後から語るタイプなんです。ハングリー精神がある訳ではないので(笑)例えば、もともと代表の平野は父親がいて、その企業を立ち上げて、これを大きくしたいみたいな夢が彼にはあったと思うんですけど。僕はどちらかっていうと、その周りの人たちの夢に乗っかるタイプなんですね。
ここでまた父親の話が出てくるんですけど、父親はもうすでに何千人っている会社に途中から入って、規模をさらに大きくして、一部上場まで引き上げたんです。「じゃぁ、僕は、まだまだゼロに限りなく近い小さい規模のオンリーストーリーという会社を、どんどん大きくしていって、父親が成し遂げたのと同じくらい高いところまで引き上げてやろうじゃないか」と。「その方が、圧倒的に“すごい”じゃないか」と。そう思ったんですよね。
僕は平野と一緒に、この会社をそのくらいまで大きくしたいな、と考えています。
――素晴らしいですね。それはいつくらいから思い始めました?
本当に最近です。これまた別の会社の人と2週間に1回ぐらいお会いしているんですが、そこで自己分析みたいなことをするんですけど、その時に気づかされたんです。
――メンター的な存在がいらっしゃるわけですね。
僕らのお客さまの1人の社長さんなんですけどね。仲が良くて、「2週間に1回、小山くんのブラッシュアップの時間を取ってあげるよ」って言ってくださって。そこでお話をじっくりして、その中で気づいた、という感じですね。
■将来の夢は、ハワイのビーチでのんびりと本を読んで、過ごすこと
――プライベートの小山さんは、どんな人ですか? どんな風に、オフを満喫していますか?
プライベートは……、サッカーを見に行きますね。自分でプレイするっていうよりは、見に行くことが多いです。僕、サッカーはできないんですよ。
――野球出身ですからね。
フットサルはできるんですけど、サッカーの広いコートは、無理なんですよね。
――すみません、私、スポーツあんまりやらないから、その違いがわからないんですけど(笑)。
広いコートだといろいろと技術が必要ですね。フットサルは遊び感覚でできるんですけど。だから、自分でプレイするのはフットサルで、よく見に行くのはサッカー。ガンバ大阪っていうチームのJリーグのゴール裏で。“チャント”って“応援歌”っていう意味なんですけど、チャントをサポーターのみんなと一緒に歌います。普段の僕は大声を出さないけど、試合の時だけは声を張ります。
――あとは……、お酒は飲まないっておっしゃっていましたよね。
酒を飲まないのも、父とは別にもう1人、目指しているビジネスマンがいて。その人から、「お酒を飲むメリット、ないよね」って言われて、「確かに」と思ったんですね。「翌日の体調も良くないし、お金もかかるし、メリットないな」と思って翌日からやめました。
――スパッとやめられたんですか? そんなにもともと飲んでいたわけではなかった。
ガブガブ飲むタイプではなかったので(笑)。実際、その人のことをすごく好きだったんですよ。その人に対して、「めちゃくちゃカッコいいなー」って思っていて、だから、「僕も飲むのを辞めよう」って行動に移しました。
――プライベート面での将来のお話も聞いておきます。さきほど、“ハワイ”というキーワードが出ましたけど、将来的にハワイに住みたい、とか、そういう想いはないんですか?
あります。最終的な夢は、ハワイのコンドミニアムで暮らすこと。UBERのドライバーをやって、ちょっとお金を稼ぎながらも、ストック収入を得ながら、ハワイでのんびりしたい(笑)。
――それって何歳ぐらいのイメージですか?
50、60歳ぐらい。
――いいですね!(笑)
1か月間行っていたハワイのワイキキの奥に、人気がないビーチがあるんです。そこで波の音とクリアブルーの海を感じながら、本を読んだりして、のんびりする。あの感覚は行った人しか感じられないと思うんですけれども、あれはもう僕にとっては天国に近い感じです。「めちゃめちゃ幸せだな」と感じたのがハワイだったんですよね。
根本的には、僕は面倒くさがりで、働きたくない、出不精な人間なんですよ。だから、そうやって、のんびりしていたいですね。
――ハワイに行ってよかったですね。長期留学じゃなかったにしてもね、人生の夢を感じ取ることができたんだから。
めちゃめちゃよかったです。行ってみて、「本当に、ここ、めちゃめちゃいいな」と思ったんですよね。
■自分が認識していることを、客観的に自分でまた認知することが大事
――オンリーストーリーという企業についてもお聞きしたいです。まだ時間、大丈夫ですか?
大丈夫です。
――インターンとして入社してから、1年半の間に、オンリーストーリーという企業も大きくなって、変化してきたと思うんです。小山さんの目にはどう映っていますか?
どんどん体制が整っていきますね。「企業って、こうやって仕組化をして、大きくなっていくんだな」っていうのを、まさに目の当たりにしている感じです。僕が入った時には、例えば、マニュアルがなかった。でも、今は、「これさえ読んだら、できるようになるよ」っていう風に整っている。「企業が成長するって、こういうことなんだな」と思いますね。
――スケールする事業モデルって、きっとそうですよね。ある程度、“誰でもできる仕組み”が大事ですよね。
そうですね。ちょっとメモりますね。
――さきほどから、ちょくちょくメモを取っていますよね。私、インタビューを受けている間にメモを取る人は初めてお会いしたんですけど(笑)。普段から、メモを取るんですか?
重要な言語化かなと思ったので……(笑)。
――“言語化”、意識してます?
意識しています。
先ほどのお酒をやめたキッカケの経営者の方と昨年の8月に出会って、尊敬しているんですけど。その方が「言語化はすごく大切だ。自分の行動をひとつひとつ言語化することで再現性を高めることができる」っておっしゃったんですね。それから、“メタ認知”と言われるものなんですが、「自分が認識していることを、客観的に自分でまた認知することが大事」という考え方も教わって。「その人がやっているなら、俺もやらなきゃ」って思ったんです。
――いいですね。世の中の素晴らしい人と会いにいって、カッコいいと思う人の考えを聴くことが仕事、って、とても幸せなことですよね。しかも、その“ご縁”がつながったら、その後もまた会いに行ったり、話をしたり、中には「小山君の成長タイムだね」って時間を割けてくれる人に出会ったりもできるんですもんね。とても羨ましいです。
■もともとは人見知りだった。自分でも、こういう仕事をやっているのが信じられない
――最後の質問にします。これを本当に最後の質問にします。学生時代の自分は、将来の自分がこういうビジネスパーソンになるっていうのは想定できていたと思います?
大学1年生の僕に、「数年後の僕は、こういう仕事をしているんだよ」って言ったら、とてもビックリすると思います(笑)。もともと僕は人見知りで、自分でも、こういう仕事をやっているのが信じられないですよね。友達も、ぶわーって増やせるタイプではなかったですから。
高校入学の時も、2週間半ぐらいは人と喋れなかったですね。それくらい初対面の人は苦手だったんです。今はもうそんな自分はいないですし、逆に、「ばっちこい!」みたいな感覚なので、驚くと思いますね。
――そう変わったのは、いつからですか?
やっぱり大学生の期間は人を成長させるな、と感じました。大学の時から“ご縁”っていうものを感じていて。
オンリーストーリーとの出会いは平野が経営学の授業に講演に来たこと、とお話をしましたけど、そのターニングポイントをつくってくれたのは、英語の先生なんですね。1年生の時の冬にお会いした先生がとてもいい先生で、その方について英語を勉強しようと思ったんです。これが1つ目の出会い、つまり“ご縁”です。その先生の周りには、いろんな人が集まっていて、その中にJR東日本の社員の方がいたんです。僕の通っていた東海大学って、“国内留学”と呼ばれる、JRさんの中のシステムで学校に来ている1人の社員さんと仲良くなったんですね。その方は年上で、30歳くらいだったと思うんですけど、一緒にビジネスの話をしていたら、その視点で考えるのが好きになって。これが2つ目の“ご縁”です。
そのJRの方と、「経営学の授業があるから、一緒に受けようよ」ってなって。それで行った教室でたまたま平野と出会ったわけです。だから、“ご縁”によって開かれていった人生だなって思うんですよね。英語の先生に会えなかったら、JRの方と一緒に授業を受けなかったら、平野と会えなかったはず。だから、その英語の先生とJRの方には、とても感謝しています。
――ふふふ、“ご縁”と“感謝”は、貴社の取締役の川角さんもおっしゃっていましたね。先日、インタビューさせていただんです。
記事、読みましたよ。そうですね、彼も近いことを言っていますね。
――私、「“経営層と仕事をしている新卒社員”である小山さんって、果たしてどういう人なんだろうか」と思いながら、今日はずっとお話を伺っていたんです。今、わかった気がします。何故、世の中の社長さんが小山さんに心を開くのか。
本当ですか?
――総合的に、もちろん、いろいろな要素があると思うんですけど、雰囲気がね、とても素敵で。話すスピードが速くなくて遅くない。発音もきれいで、すごく滑らかな言葉の発声をなさっていて。そして、目はずっと合わせている。口元もニコニコしていて、瞳の奥がちょっとキラキラしているし、たまにイタズラっぽい“茶目っ気”も出る。そういう表情でインタビューされたら、相手の社長さんも話しやすいし、心を開いちゃうんだろうな、って、すごくわかった気がします。
そうなんですかね……、ありがとうございます(笑)。