• 中村昌史

生涯やり遂げる事業を考えた時、「家族」に関わるビジネスを思いついた

今回、取材を受けていただいたのは中村昌史さん。中学生の頃から「起業したい」「経営者になりたい」と思っていたという中村さんは、様々な準備期間を経て1年前に、「家族をテーマに事業をする」と決めて会社を立ち上げました。
当初は「Webサービスをやろう」と決めて、メンバーを集めたものの、「これはうまくいかない! 解散!」と一度は事業部を解散します。その後、「自分ひとりでも成り立つ事業を考えよう」と考え直し、今の事業をひらめきます。
テンポ良い口調と、さらりとすごいことをおっしゃる印象から、「そんなに軽いノリで起業できるんですか?」と思わず失礼なことを訊いてしまいましたが、中村さんは笑いながら言います。「何とかするしかないし、何とかなるし、何とかするんです(笑)」と。
中村さんが事業を立ち上げるまでの28年間の半生をお楽しみください。

インタビュー実施日:2018年4月2日(らしくインタビュアー渡辺)

目次

■家族の大切さや笑顔といったものを事業に落とし込んだら、どんなに辛くてもやっていけると思った

――今ご担当されている仕事や会社について、簡単にご紹介ください。

私の会社では、親孝行の大切さと素晴らしさを、事業を通して伝えていけるような会社をやっております。会社名は「株式会社青い鳥」と言います。

――具体的にはどのような事業なんでしょうか。

大きく分けるといくつかの事業がありますが、メインとなるのが「家族の話事業部」です。弊社の「親孝行プランナー」がご家族さまのもとに伺い、その家族にしかない物語や歴史を一冊の本に仕立てる、というサービスをやっています。

お父さん、お母さん、ご兄弟にインタビューをして、ご両親の出会いのエピソードや子どもが生まれた時の話、家族としてどんな思い出があるかをお伺いするんです。それを記事にします。そして、皆さんの写真を撮影させていただいて、本当にそのご家族を特集した一冊の本に仕立てるんです。

――ちょっと見せていただきますね。わぁ、素敵! これが実際の本ですね。すごく詳しくインタビュー記事というか対談記事がつくられているんですね。結婚式の前日とか、お父さんの還暦祝いの時とか、就職した時とかに渡されたら、泣いちゃいそうですね。

そうなんです。まさに、そういう時に活用いただけるといいんじゃないかな、と思うサービスなんです。

それとは別に、家紋事業部と家系図事業部もあります。皆さんの家でも家紋や家系図をお持ちだと思うんですが、僕達が言わせてもらうとこれらは「家族の証」なんです。ご先祖様からお預かりしているものを、後世にしっかり引き継いでいけるような形にして残していけるよう、伝統工芸士さんと一緒に商品開発をしております。

他にも、スリランカに青い鳥 Human Resource(以下青い鳥HR)という人材系の会社があります。

――それらはすべてご自身で立ち上げられた事業ですよね?

はい。そうです。

――「家族」をテーマにしたビジネスって、ありそうでなさそうだな、という感じがしますが、思いついたきっかけは何だったんですか?

20歳の時、僕は出身が福岡なんですけど、大学進学のために東京に出てきて、初めて「親孝行って大切だな」と感じたのが、ビジネスにしようと思った最初のきっかけです。元々起業をしたかったんですけど、「どんなビジネスだったら僕は生涯やり遂げられるんだろう」と考えた時に、僕の軸は「家族」だと気づいたんです。家族の大切さや笑顔といったものを事業に落とし込んだら、僕はどんなに辛いことがあってもやっていけるんじゃないか、と。

そこで、「家族に対するサービスって何だろう?」と考えた時に思いついたのが「親孝行」。親を喜ばせることを仕事にしようと決めました。

――20歳で起業しようと思った時に「家族」がテーマに出てくるのって、結構レアじゃないかと思うんですが。

いろんな人にそう言われます(笑)。

――そこはずっとブレなかったんですか?

ブレなかったですね。当時は、日本が現在直面している高齢化社会の問題とか、そういうことまでは考えていなかったんですけど、実際に事業を立ち上げてからは、そういった問題を含め、さらにはAIとか今の時代のトレンドを見据えたうえで、何をどう達成すればよいかを日々考えながらやっていますね。

■高校生の頃は地元でも有名な「反抗期野郎」。反抗しすぎたからこそ、親のありがたみがわかった

――ちなみに、いつ頃から「起業しよう」と考えていらっしゃったんですか?

中学生の時です。僕の親戚で会社経営をしている人がいたんですが、すごく自由だったんですよ。平日の昼間ぐらいにフラッとうちに来て、一緒にご飯食べて、「これから会社行ってくる」みたいな感じで、すごく楽しそうで。もちろん社長だから、経済的な余裕もあって、なんか素敵だったんですよね。「僕も経営者になって、こういう風になりたいなぁ」と思いました。

それで、いろんな人に「経営者になりたい」と話していたんですけど、高校2年ぐらいの時に、兄貴に「ずっと経営者になりたいって言っているけど、何のビジネスをするの?」と聞かれて、確かに何も決めてなかったことに気づき……(笑)。

――まずは「社長になりたい」っていうところが先だったんですね。

そうです。「これはちょっと考えなきゃいけないな」と思って、いろんな経済の本を読み始めました。当時、学校生活の中で、読書の時間があったんですね。周りは「高校生におすすめの本」みたいなのを開いていたんですけど、僕だけマクロ経済学の本とかを読んでいましたね(笑)。先生に、「お前、すごいの読んでるな」と言われましたが、とりあえず読んでみようと思って。「難しいっすね。先生わかりますか?」って聞いたら、「いや、俺もわかんない」って。「ですよね~」みたいな(笑)。

――先生も経営者や社長じゃないですもんね(笑)。

それで、「大学でしっかり経営学を学べば経営者になれるかもしれない」と思い、高校3年生ぐらいから大学進学を決めました。そこからあまり勉強してないですけど。

――また、さらっとおっしゃる(笑)。

付属校だったんですよ(笑)。

――高校までは福岡で、大学で東京にいらした時に初めて親元を離れて暮らすようになったわけですね。何故、福岡から出ようと思ったんですか?

親の近くは嫌だったからですね。僕、地元でも有名な「反抗期野郎」で(笑)。親戚は「あそこの昌史はヤバくなった」って言うし、同級生からも「昌史は親に迷惑かけすぎだろう」と言われるくらいヤバかったです。

――「ヤバい」という度合いって、人によって違うと思いますが、どこまでヤバかったんでしょう?

一番ひどかったなと思うのは、ある日の夜中、家に帰ったら、ご飯が置いてあったんです。その横にお母さんから「今日もお疲れ様」みたいな手紙が置いてあって。それを見た瞬間イラッとして、手紙をクシャクシャにしてお母さんの部屋に投げるという……。

――ひどい! ひどい! ひどい! 僕がお母さんなら泣きます(笑)。

ホント、ひどいですよね。さらにそのご飯を食べずに、僕は自分で近くのコンビニ行っておにぎりを買って食べていました。

――わかりやすい反抗期ですね(苦笑)。

今は笑えるようになりましたけど、本当に最低だったと思います。

――それで親元を離れたくて東京に進学し、ひとり暮らしをして初めて、親のありがたみがわかった?

その通りです。

――でも、そこから起業のポイントを一気に「家族」に持ってくるのって、結構、振れ幅が大きいと思うんですけど。

逆に反抗しすぎたからじゃないでしょうか。反抗しすぎたからこそ、親のありがたみがわかったような気がします。やっぱりあれはひどかったですね(笑)。

■去年やっと、「家族をテーマに起業する」とLINEで親に伝えた。今でも面と向かって話さないのは「照れ隠し」

――ちなみに「経営者になりたい」という話をした時、ご両親はどういう反応だったんですか?

「そうなんだね」って。それだけです。

――割とそんなもんなんですね。親戚の中で経営されているのは、さっきお話に出ていたひとりだけ?

そうです。

――では、家族全員が経営気質とかそういうわけではないんですね。

お父さんは農協勤務です。お母さんは今、介護ヘルパーみたいなのをやっていて、デイサービスで働いています。兄貴は公務員で、実家のそばに家を買って、近くの市役所に勤めています。

――全然違いますね(笑)。つくった食事を食べてもらえず、朝見たら、ゴミ箱の中に、コンビニのおむすびの袋があった……なんていうショックな経験をされたお母さんは、息子が家族をテーマに起業したいと言い出した時、どんな反応だったんですか?

実は、家族をテーマに起業すると伝えたのは去年ぐらいなんです。

――あら、そうなんですね! 20歳の時に「家族を軸に起業しよう」と思われて……、それから何年ですか? 今、おいくつでいらっしゃいましたっけ?

28です。8年前に決めてから、7年の間、親には言っていなかったです。家族には言いづらいですよね(笑)。

――あまりに極端ですもんね(笑)。初めてそれを知った時のご両親の感想ってどうでしたか?

家族の LINEグループがあって、そこに「父の日おめでとう」というメッセージとともに、うちでやっている家族のサービスのチラシを送ったんです。「うちの会社、新しい事業を始めたよ」って。そしたら、お父さんが飲んでいるスタンプを送り返してきて、お母さんはドラえもんか何かのスタンプを送ってきて(笑)。その後に兄貴から「事業、いろいろと進んでるね。これからも頑張ってなー」って感じで連絡が来て。たぶん、照れ隠しだと思います。

――直接お会いした時には話はしたんですか? あるいは家族から「そんな仕事をするなんて思ってもいなかったよ」みたいな言葉があったり?

いや、向こうからは何も言ってこないですね。

――照れ隠しの延長戦なんですかね(笑)。

僕はそこに関しては、照れてしまうので自分からは言えないですね。でも、「家紋とか家系図は大切だよ」という話をしたら、お父さんが「大事だよなぁ」と言って、実家の蔵を漁り出したんです。

――おうちに蔵があるんですか?

田舎ですからね。実家が築120年ぐらい経っている家で、敷地内に蔵があるんです。物置みたいなもんですけど。そこにご先祖様から引き継いできたものが入っていて、中村家の家紋が入った伝統工芸品なんかを父が引っ張り出してきて、「これは座敷に」とか言って飾り出したんですよね。

――あら。では今ではお父さまも家族や家系の大切さを正に体現していらっしゃるんですね。

僕が洗脳したんです、お父さんを(笑)。

■大学生の時、30万円で起業塾に入塾。そこで得られた仲間の存在は今でも強くある

――ちょっと話を戻しますね。20歳の時に、家族というテーマで起業しようと思われた。実際にはどんなスケジュール感で動き始めたんですか?

いい質問ですね(笑)。

――ありがとうございます(笑)。そこ、すごく聞きたかったんです。

ずっと起業したいと思っていたので、20歳の時にはすでに会社をつくっているイメージだったんです。で、成人式に集まった時に「今、会社やっているんだよね」みたいなことを言えるようになりたかったんですけど……、行動力がなさすぎて間に合わず、言えなかったんです。情けなかったですね。

そこから、ちょうど大学2年か3年生ぐらいの時ですね、自分で起業するために勉強しなきゃいけないなと思っていろいろ調べていたら、今はもう存在してないんですけど、起業塾という起業の勉強をする為の塾があったんですよ。そこに30万円くらい払って入塾しました。

――すごい! 30万円も高い金額をポンと出せる状況にあったんですか?

バイトしていたので。もちろん高いんですけど、「ここでやらないと僕の人生変わらない」と思ったんです。

塾では週に一回、ビジネスモデルをつくる勉強をしていました。ワークショップみたいな感じですね。そこに来ている大学生と一緒にいろいろ勉強してつくったものを、コンサルの人たちにプレゼンしたりして。

――かなり本格的! まさに起業のための勉強会といったイメージですね。

そこで2年くらい、大学を卒業する前まで勉強していました。でも途中で潰れちゃいましたけど(笑)。一度30万円払ったら、あとはいつ来てもいいみたいな、永久でオッケーみたいな塾でした。

――そこで勉強して知りたいことを学んだり、考える時間というものを設けたりすることができたから、自身が起業するにあたっては役に立ったかな、ということでしょうか。

そうですね。「知識」は今考えるとあんまりないかもしれませんが、そこで得た「仲間の存在」は大きいですね。今でも仲がいいです。

■ベンチャー企業に就職し、マネージャー業務も経験。部下に任せて楽になった瞬間に「自分の成長が止まる」とも思った

――大学を卒業された後、起業するまでは何をされていたんですか?

ワーキングホリデーで1年間カナダに行きました。カナダから戻ってきて、「これから就活します」っていうタイミングで、たまたま先ほど話した塾で講師をしていた僕の憧れの人から、「お前、今、何やってんの?」って連絡があったんです。その人は、同窓会ビジネスの会社をつくっていたんですよ。それで、その会社に入ることになったんです。

その人、当時まだ会社経営していなかったのですが、講師としてビジネスモデルの作り方について喋っていたんです。僕、すごく憧れちゃって。その当時、何歳くらいだったのかな……、27歳か28歳くらいか……、今の僕みたいな感じですよね。とにかく「この人と一緒に仕事をすればスキルや人脈が手に入るんじゃないか」って思ったんです。魅了されちゃったんですね。

――憧れの人と一緒にビジネスができるっていうのは、きっと幸せでしたよね。では、その会社には、いわゆる「新卒」として入られた?

新卒みたいな感じでしたけど、ベンチャー企業なんであまり関係なかったです。

――「同窓会ビジネスの会社」とおっしゃいましたが、具体的にはどんなビジネスだったんでしょう?

同窓会の代行サービスをしている会社でした。同窓会を全国で年間600回ぐらいサポートさせていただいてました。

幹事がやる作業……、例えば案内状の発送や出欠管理、同窓会コミュニティサイトの制作、同窓会当日の受付、写真撮影、支払いなんかを会社として全部代行するんです。そこで3年くらい働いて、2016年の3月末に辞めました。

――その会社は、起業する前提で勤めていたんですか?

そうですね。入社する時から「僕、3年後に辞めて親孝行ビジネスの会社を作ります」と言っていて、「それでもいいよ」ということで入れてもらいました。

――実際にベンチャー企業に入ってみて、どうでした?

最初は「大変だなぁ」としか思えなかったですね。月曜から金曜まで事務所で働いて、土日は現場に行く……、それがずっとでした。月に2回か3回ぐらいしか休みがなくて。

――それは大変!

当時メンバーが5人しかいない会社で、立場で言うと僕は一番下ですから、大変でしたね。大変でしかなかったです。一応、同期がひとりいたんですけど、どっちか電話番しないといけないから一緒にランチも行けなかったです。

――同窓会ビジネスってBtoCだから、タイミングがわかんないですよね。BtoBだったら「朝9時から夕方5時まで」みたいな暗黙のルールがありますけど…。

関係ないんですよね。夜中に電話をかけてくる人もいるし…。朝の4時に幹事さんからかかってきた時も、僕、電話に出ましたよ。

――出るしかないですよね(笑)。よく3年も続いたと思います。

最初はすごく辛かったです。でも、3、4ヶ月くらいで仕事を覚え出すと、楽しさが見えてくるわけです。それから部下がついて、仕事を任せることができたので楽になりました。

――マネジメントもされていたんですね。

マネジメントもしていましたね。でも、楽になった瞬間に、「成長が止まる」とも思ったんです。マネジメントを学ぶ、というのもあるとは思うんですけど、やはり誰かに任せたら、僕が今までやってきた仕事はなくなる。管理するだけならそんなに時間かからないじゃないですか。定期的に数字のチェックはしていましたけど、その後は暇になっちゃって。で、特にやることがなくて、Facebook とか LINEとかを見るくらいしかしていなくて、「これって駄目だなー」って思って。

――管理職って、部下の動向を気にしたり、仕事していない人を叱ったり、仕事を教えたり指導したり、そういった忙しさがあると思うんですが、それはなかったんですか?

はい(笑)。

――よほど優秀な部下がついて、うまく引継ぎができていたんでしょうか。

それもあったかもしれないですね。もちろん、ある程度はちゃんとチェックするんですけど、別に常にチェックしていなくてもいいかな、と。

――「手を抜ける時間を見つけた」みたいな?

そうなんです! 今まで100%稼働だったのが70%稼働しかしなくてよくなる。すると残り30%が暇になる。これはもったいないですよね。そこで新しいことを生み出せばいいんですけど、そういう発想もなく、「このままでは成長が止まる」と思いました。

■会社を辞めて、「親孝行に関するビジネスをやろう」と決めた

――それからご自身の起業が本格的に始まった、という感じですか?

そうですね。でも、実際に準備したことってたいしてなかったですね。会社を辞めて親孝行のビジネスをやると決めました。そこで、「じゃあ、どうやってビジネスモデル作ろうかな」みたいな感じでしたね。

――あれ? それって20歳の時からずっと考えていたんじゃないんですか?

ずっとお金と人脈はつくってきていて、その準備はできていました。そして、やりたいことは決まっている状態。でも、「じゃあどのように達成するか」というところがなかったんですね。これを考えたのは会社を辞めてからです。

――会社員を辞めて起業するまで、どれぐらいの期間がかかったんですか?

4ヶ月でした。

――では、その4ヶ月でその辺りを固めていったんですね。

そうですね。

――なんでしょう、イメージと違いました。中2の頃からもう起業を考えていらしたから、起業の準備って、人脈作りと資金作りはもちろんのこと、「こういうことをやったらいいんじゃないか」みたいなことを、それこそ塾に通っている時から構想したり、書き出したり、立案したり、そういうことを続けてきたのかと思っていました。

それもやりましたよ。いろいろ考えました。そういったものが自分の中に溜まっていたんだと思います。家紋ビジネスを考えたのも塾で学んでいた時でしたから。

――なるほど。アイデアはその頃から温めていたんですね。

それを僕、頭の中のどこかの棚にしまった状態だったんですね。それで、去年くらいに、「あ、そういえば家紋ってことを大学の時に考えたな。家紋と親孝行って同時にビジネスにできるんじゃないかな」って思いつき、「よし、一緒にやろう」と頭の中から引っ張り出してきた、そんな感じです。

■Webサービス事業は行き詰まり、事業部は「解散!」。そこから、自分ひとりでもできる「本のサービス」を思いついた

――会社を辞めて4ヶ月で起業された訳ですが、社長になられたことで、生活や仕事は具体的にどう変わるんですか?

最初はホームレスでした(笑)。

――また、さらっとおっしゃるキーワードが「ホームレス」とは(笑)。

会社をつくる5日くらい前に家を引き払ったんです。「家にかけるお金がもったいないなー」と思って。そこから友達に連絡して、彼らの家を転々としていました。荷物を持って都内を移動しながら仕事して、いろんな人と会ったりしていましたね。

――昼間はカフェで仕事して、夜になったら友達の家に泊めてもらい、またどこかのカフェに行く……。いわゆる「ノマド」みたいな働き方だったんですね。それがどれぐらい続いたんですか?

1か月ぐらいやっていましたね。でもこれ、結構友達に迷惑がかかるし、大変だなと思って(笑)。

――それはそうでしょうね!(笑) ビジネスとして初めての案件って、起業してからどれくらいで獲れたんですか?

そうですね……。まずはWeb サービスを作ろうとしたんです。親孝行ビジネスのプラットフォームをつくろうと思って。具体的には家族の情報を入力してもらって、「家族の誕生日の1か月前に『そろそろ、あなたのお父さんの誕生日ですね』って知らせたらどうか? そこからプレゼント配送サービスってできないか」って考えて、そういうサービスをやろうとしたんです。

でも、それを作り始めて4ヶ月くらい経った時に、「あっ、これはちょっとうまく進まないな」と思って。そのまま会社も潰れそうになっちゃって、「これはやばいな」と。それで皆に、「あの、ちょっと…。解散です!」みたいな(笑)。

――そんなノリですか?(笑) ちなみに、その当時、メンバーはどれぐらいいたんですか?

6人ぐらいです。

――結構いたんですね。

開発するためのエンジニアも抱えていましたから。2月末に一度解散して、ゼロになったところから何をやろうかとずっと考えていました。その時に冒頭に話した「本をつくるビジネスをしよう」と思ったんです。

――そのアイデアはどちらから?

エンジニアに頼らなくても済む働き方をしようと思ったんです。非エンジニアでもできる仕事、自分でやって自分で稼げるビジネスモデルを編み出そうと思って。

いろいろと探してみたら、ネットサービスがいろいろ出てきたんです。それをいろいろガッチャンコした時に、「親にフォーカスした本をつくったら面白いんじゃないかな」って思ったんです。インタビューも自分ですればいいし。

でも、当然のことながら、僕、それまで本なんてつくったことないじゃないですか。同窓会と Webサービスを作ろうとしていたという経歴くらいで。そこで、まずはデザイナーが必要だな、と思って、ひとり見つけてきたんです。それが21歳の若いヤツで。

――若い! 学生さんですか?

大学を中退して、「今はデザイナーとカメラマンもやっています。スキルはそんなにありません」みたいなヤツに声をかけました。

とりあえず一緒に本屋に行って、本を見て、雑誌を見て、「あ、こういう本、いいよね」「こういう作り方いいよね」っていうものを見つけて。それを中古で買ってきて、彼に与えました。それで、「よし、じゃあ、この通りに作ろう」って、二人で作り始めたんです。

――中村さんって、すごいことをさらっとおっしゃいますね(笑)。想像してみたんですけど、写真はきっと自分で撮れますよね。インタビューして記事を書くのもできそう。でも、それを編集して本に仕立てるっていうのは、どうやるんですか? ワードとかパワポとかを使ったりして?

そうですね。もう自分で頑張るしかないですからね。

――なるほど。それがそのまま、初めての一冊目の本になったんですか?

そうです。そこからまた試行錯誤してつくったものを持って、「こういう仕事始めたんだよ」っていろんな人に勧めてまわって。初めてお客さんから対価としてお金をもらったのが7月のことでした。

――Webサービスを立ち上げた時と違って、「これならいける!」っていう手応えがあったんですか?

いや……、特に別に(笑)。

――そうなんだ(笑)。でも、お客さんから金をいただいて、案件が決まって、その時の心情というのはどうだったんでしょう? 嬉しかった?

めちゃくちゃ嬉しかったです。それで、「これはもっと頑張んなきゃいけないな」って思いました。

――それで火がついたんですか。面白いですね。

■「夢がある人」が好き。夢を叶えるプロセスの中で、もし青い鳥の時系列と重なったら、一緒に働きたい

――そこからは、どんどんお客さんを紹介してもらって順調に増えている感じですか?

そうですね。でも、まだまだ全然足りないですけど。普通にお客様からご紹介いただく他に、提携している介護施設や葬儀会社などからご紹介いただくこともあります。

――今は、メンバーは何人いらっしゃるんですか?

本に関しては4人です。僕の他にプランナーがひとりと、カメラマン兼デザイナー、あと構成を担当するメンバーですね。

――カメラマンはもともと一緒にやっていた方?

はい。彼はこれからもずっといると思います。

――本以外のビジネス、例えば家紋とかのメンバーも、普段から一同に集まって仕事をしてらっしゃるんですか?

いいえ、もうバラバラです。彼らは正社員ではないので。

――あぁ、そうなんですね。では、「こういう案件がきたから、よろしく」って声をかけて、仕事をしてもらって、お給料を払ったら、「また次の案件がきたら、声かけるね」みたいな感じですか?

そうですね。早く正社員雇用をしたいんですけどね。定期的な売上が安定した時に初めてそこに投資ができるので、そこまで頑張って持っていっている感じです。

――今、社長として「こういう人が欲しい」というのはありますか? プレイヤーからマネージャーになった時に、「楽になり過ぎた」っていう経験をされていますけど、それぞれの専門的なスキルを持っている人が欲しいのか、やっぱり統括的に見てくれる人が欲しくなってきたか……。

後者の方ですね。

――いわゆる総合職みたいな?

僕の右腕みたいな人が欲しいですね。今のところひとり、目処がついているんですけど、でもこればかりは縁とタイミングがありますからね。

――カメラマンの方をスカウトした時もそうかもしれませんが、あまり年齢や学歴、今持っているスキルにはこだわらないですか?

全くこだわらないですね。

――では、何を重視されるんでしょう?

「夢がある人かどうか」ですね。「何かを成し遂げたい」という熱い思いがあって、それを実現するプロセスの中で、青い鳥と組むことによって叶うかもしれない。そういう人が大好きです。僕の会社にいる人って大体そうですよ。そうじゃないとやっぱり辞めちゃうと思うんですよ。「青い鳥じゃなくてもいいじゃん」ってなるので。

■家族はかけがえのない「宝物」。一緒に働くメンバーも、それぞれ家族のことを考えている

――先ほどご両親とお兄さんの話が出たんですが、中村家のご家族は今何人ですか?

お父さん、お母さん、兄貴、僕の4人です。そういえばこの前、親戚から面白いことを言われたんです。「兄貴は公務員で真面目な道を歩んでいるのに、なんでお前は破天荒な道を歩いているんだ」みたいな。

昔から、危なそうな道や行ったことのない道があると、兄貴は僕を先に行かせていたらしいんですよね。「お前行って来い」と(笑)。

――(笑)。中村さんはそれに従ったんですね、素直に。

僕は全然記憶なかったんですけど。「何かあったら、いつも自分が最初に突撃して、状況を確認してくる、みたいな感じだったから、今もこんな風になっているんじゃないのか」って言われました。

――お兄さんはいくつ年上なんですか?

2つ上です。

――賢いんだ。自分のリスクは取らない、みたいな(笑)。

みたいですね。知らなかったですけど。

――中村さんにとっての家族って、改めて聞かれたらどんな存在ですか?

なんだろう……。こんな言い方幼稚かもしれないですけど、パッと出てくるのは「宝物」ですかね。「かけがえのないもの」……、そういうものだと思います。

――今一緒に働いてらっしゃるメンバーも、家族というものに思いがあったり、そちらに心のベクトルが向いていたりするところがあるんでしょうか?

あると思います。

今、34歳の家紋家系図の担当をしているメンバーは、「ずっと実家暮らしで親との会話もほとんどなくなっていた」って言うんですが、青い鳥で働き出したことによって家族間の会話が生まれて、また仲良くなって、この前お母さんと一緒に桜を見に行ったって話していたんですよ。

――素敵じゃないですか!

それまで自分の親について、あまりよく知らなかった、ということにも気づいたみたいで、「これからもっとコミュニケーションを取っていこう」と感じたそうです。

他のメンバーの中には家庭に複雑な事情を抱えているヤツもいます。それに比べると、僕の家はごく平凡で、仲の良い家族だったんだと思いますね。

■僕は「のらりくらりとうまく人」。小さい頃からずっと親戚の人に「世渡り上手」と言われていた

――中村さんの幼少期について、お伺いしたいです。小さい頃は、どんな子でした?

田舎だったんで、外で遊ぶことが多かったですね。

――緑がいっぱいあって、広い空があって、みたいな感じ?

まさにそんな感じです。実家は農家なので、米をつくっていました。畑で遊んでいましたね。

――小さい頃からあまり知らないところとか、行ったことないところでも行けちゃう子だったんですか? お兄さんも「お前、先に行って、偵察してこい」って言うくらいですからね。

そうだと思いますね。誰もやったことのないことをするのが好きだったんです。

――それは今でも自分の自覚としてあります?

あります。あります。

――小学校の頃ってどういうタイプだったんですか? 学級委員タイプとか、スポーツで目立つタイプ、生き物係タイプ、図書委員タイプ、って、小学生の頃っていろいろあると思うんですが。

今おっしゃったこと全部やっていました。

――全部?

はい。学級委員はやっていましたね。スポーツも、ずっとサッカーやっていました。それに、生き物係も、図書委員も。

――すごいな。私さらっと言っただけなのに、全部ですか。成績はいい方でしたか?

それは全然(笑)。常に真ん中です。頑張りもせずに、勉強もせずに真ん中を行くタイプです。

人生なんとなく、のらりくらりとうまく人っているじゃないですか。僕、小さい頃からずっと親戚の人に「世渡り上手」って言われていたんです。兄貴の友達と一緒に遊ぶことも多かったんで、年上の人との接し方とか見ていたんでしょうね。

■起業家の街シリコンバレーを目指すも生活費の高さに断念。グーグルアースで見てみたら、バンクーバーが「意外と近いな」

――話を少し戻しますが、大学卒業後、カナダにいらっしゃったのはどういう経緯だったんですか?

20歳の時、いろんな人に起業したいという話をしたら、馬鹿にされたんですよ。「そんなものお金にならない」「親孝行はビジネスじゃない、ボランティアだよ」と。みんな否定から入るので、イラっとしたんですね。

その時に、「こんなことを言う人たちと同じような頭になっちゃ駄目だ」と思ったんです。そういう人たちが、普通に大学に行って、就職して、人事とかをやっているわけです。「こりゃ就職しても駄目だな」と思って。

そこで、起業家の街、アメリカのシリコンバレーに行こうと思いました。インターンシップをさせてもらいながら自分のスキルを高めていこうと思って。でも調べたら、生活費が高かったんですよ。「これは無理だな」と思って、グーグルアースで世界地図をピュッと広域にしたら、横にカナダがあって、バンクーバーがある。意外と近いな、と思って。

――ち、近いかな……? どれだけ拡大したんだ?って話ですけど(笑)。

そうですね(笑)。でも調べたら、ワーキングホリデーというビザがあって、バイトもできる。お金を稼ぎながら英語を勉強できるし、かつ治安もいい。住みやすい街トップなんですよね。「あぁ、面白そうだなあ。ここにしよう」と思って、そこに行ったんです。

――先ほど「のらりくらり」という言葉もありましたけど、中村さんってフットワークが軽いですよね。海外拠点をグーグルアースで見つけるっていうのもすごいです。不安はないんですか?

あんまりないです。むしろ、動いていないと不安になるんです、今でも。休みの日に休んでいるだけで不安になるんですよ。

――何かしら動いていたり、動かしていたい?

そうですね。常に脳みそを動かしていないと、思考が止まった時点で不安になっちゃうんです。「やばい、何も生産してない」みたいな。

――それで先ほどのお話のように、部下がついて暇になっちゃった時に、「違うことをしよう」じゃなくて、「どうしよう」となってしまうんですね。中村さんにとって、「働く」とは一体何なんでしょう?

自己実現でしょうね。自分のやりたいことを成し遂げるために働くんだと思います。その先に夢があると僕は思っているんで。

――その先に夢がある……。なるほど。

夢を達成するためのプロセスとして、この仕事をする。そのためには僕自身を高めなければいけないし、稼がなきゃいけない。だから働く。結局、やりたいからやっているだけなんですけどね。

――ビジネスで成功する人って、それまで周到に構想を練ってきて、それに対する自負もあるイメージだったんです。でも、中村さんの場合、失礼ですけど、そういうのがスコーンとなくて、「こういうことやったら面白そうだなと思ったからやったんです」とか、「そういえばこういうこと考えていたなーと思ってやったんです」っていうのがポンポンポンと出てきて、すごく軽いですよね。

ノリが軽いんですよ(笑)。

――でも何とかできちゃうところが素晴らしい。

やろうと思ったら、どう達成するのかをまず考えますね。何とかするしかない。何とかなる。何とかする……(笑)。

――失礼ですが、真面目に考えていらっしゃいます?(笑) そういう部分があまりにも表に出てこないですよね(笑)。まさに「のらりくらり」で素敵です!

■未知の国だったスリランカ。少ないコネを最大限に活用して空白だった日程を埋めた

――冒頭におっしゃっていたスリランカの青い鳥HRについてもお聞きしたいのですが。

設立して1年間、稼働してなかったので、まだ実績はゼロです。マイナスでしかないです。

何かあったら、と思って置いておいたんですけど、この4月から、人材紹介の仕事を始めます。仕事仲間の西川という者がやっているWORSHIPという会社があるんですけど、そこが日本の受け皿となり、青い鳥 HRが現地のエンジニアを紹介していく予定です。

――どうしてスリランカに目をつけたんですか?

Web サービスを作ろうしていた時、エンジニアが必要だったんですね。それで僕は英語も使えたので、海外からエンジニアを探そうと思ったんです。初めはタイとかフィリピンで探すつもりだったんですけど、お世話になっていたある女性に相談したら「これからはスリランカの時代だよ」って言われて。「スリランカってどこですか?(笑)」「この国に何があるんですか?」と聞いたら、「ITがこれから発展する国」とのことで。でも、実際に行ってみないとわからないので、その日のうちに飛行機予約して。

――やっぱりフットワークが軽い(笑)。中村さんは軽く飛行機に乗って海外に行ってしまいますね。その感覚ってどんなものなんでしょう?

飛行機があれば行けるじゃないですか。で、飛行機はネットで調べたら予約できるわけです。ネットに「スリランカに行ける」と書いてあるんだから、行けるんですよね。クリックすれば行けるんです。世界は広いけど、そういう意味で言うと距離は近いところにいるかもしれませんね。

――なるほど。面白いなぁ。スリランカで何をしてきたんですか?

飛行機を予約したものの、行った先での日程はゼロです。ド暇ですよ、何もアポがないんで。そこで「どうしよう」って考えるわけですが、まぁわかっているのは、アポを入れて予定をつくるしかない、っていうことですよね。それで、日本にいるスリランカ人を紹介してもらって、その人にプレゼンして、その人の後ろにいる方々を紹介してもらって、アポ組んだんです。

――なるほど! 今の話聞いてよかったなと思います。スリランカに行くと決めた、でも日程が埋まらない。じゃあ埋めるしかない。何をしたか。たったひとりの知り合いから、その人の後ろにいる方々を紹介してもらった。先ほど中村さんが「何とかする」とおっしゃるのってそういうことなのかと、すごく腑に落ちました。きっと中村さんって、ご自身の思いにすごく素直なんだと思います。それに加え、軽やかさという強みもある。

軽やかさは半端ないですからね(笑)。

■楽しくないことは一切やりたくない。好きな人と一緒に仕事がしたいし、好きなことを全部やりたい。でも「社会的意義のあること」をやっている

――青い鳥で4つの事業をなさっていて、海外にも拠点がある。他にも何か新しい事業を考えていらっしゃるんですか?

断食ビジネスを考えていますね。カナダから日本に帰る前に、1ヵ月間、アメリカを旅行したんですが、最近、その当時お世話になった人と一緒に断食に行ってきたんです。そこで、健康の大切さだったり、断食の面白さだったり教えてもらって。その人、アメリカでも一番大きな旅行会社をつくった人(IACEトラベル創業者の石黒一光氏)で、ぜひ一緒に仕事がしたいんですけど、青い鳥では一緒にできない。でも、断食の仕事をしたらできるんじゃないかな、と思って。

それで、去年の12月から断食に関する本をいろいろ読んで、勉強して、それに精通している人たちを集めて、予防医学アドバイザーとか美容家に声を掛けて、断食のプログラムをつくっています。

――本当にいろんなアイデアが出てきますね。頭の中でどう整理されているんですか?

整理しているのかな……、わかんないですけど。

――いや、面白い。天才肌ですね!

いやいや、天才肌じゃないですよ、全然。

――この言い方が良いかわからないんですけど、ロジカルじゃない部分で物事をさばいてる感じがすごくて。

ロジカルじゃないですか? 僕の中ではロジカルなんですけど。

――いや、ロジカルなのかもしれないですけど、すごいテンポが良くて。なんか自分の思いや「こういうことしたら面白そう」っていうアイディアに素直なんだろうな、って思うんです。それが語り口調も相まって、感覚的に聞こえるな、って。

そうですね……、僕、素直でしょう(笑)?

――素直ですね(笑)。こういう方もいらっしゃるんだなって思います。

普通と思っていたんですけど、普通じゃないのかな。

――普通なんだと思いますよ、ご自身の中では(笑)。従来の日本の風土からすると普通ではない気がしますが、これからはこういう方がきっと増えていくと思います。

ノリで生きているんでね(笑)。

――きっと人生楽しいですよね。

楽しいですね。楽しくないことは一切やりたくないんで。だから好きな人と一緒に仕事がしたいし、好きなことを全部やりたい。しかも、やっていることは全て社会的意義のあることなので楽しいですね。

――そこは前提条件としてあるんでしょうね。

「誰かに後ろ指をさされるようなビジネスはしたくない」。全て、それありきで考えています。

――シンプルで、でも、すごく大事なことで、素敵ですね。私、今日のテーマは、「軽やかさ」と「素直」と「シンプル」。それが大事なんだなって思います。きっと人生で楽しく仕事するためには、こういったことが大事なんでしょうね。

間違いないですね。シンプルって大事だと思います。

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