- T.M
「自分が責任もってやります!」と案件をカタチにしていく
今回は、T.Mさんにインタビューをお願いしました。筋肉質な体格と白い歯が印象的なT.Mさんですが、業界の専門知識を習得するまで3年かかった、と振り返り笑います。営業部の中でも、特殊案件を扱い、新規事業を任されているT.Mさん。「この会社には困っていると手を差し伸べてくれる方がいる」「自分は常に人に恵まれている」と語るT.Mさんに、転職のきっかけ、幼い頃から続けている競泳について、仕事もプライベートも含めて存分に語っていただきました。
インタビュー実施日:2018年03月26日(らしくインタビュアー渡辺)
目次
■「新規事業ならT.Mさん!」
――簡単に自己紹介をお願いしてもいいですか?
開発営業部という部署で係長として働いています。一応、「係長」という肩書ですが、部下は特にいません。なので、もう一人、上司がいますが、案件の営業担当しては、一人でやっている部門になります。
――T.Mさんは、プロパー、いわいる新卒でこの会社に入られたんですか?
いえ、違うんです。中途で入って今年が5年目になります。
――なるほど! ちなみに係長になられたのはいつ頃なんですか?
入社して、2年目くらいだったかな?
――あら、そんな早いタイミングで! 素晴らしいですね。
いえいえ。
――先ほど、会社概要を見せていただいて、様々な機材を取り扱っている会社なんだな、とわかったのですが、T.Mさんの今のお仕事について、日々どんなことをなさっていらっしゃるのか、私のような素人でもわかるような表現でお願いできますか?
会社概要の中の事業のどこにも属さないんですけども、近いのは医療機器の分野で、特注案件の担当をしています。いわゆる量産の製品や商材については担当の営業がいるんですけど、特注案件として――例えば「ちょっと形を変えてほしい」だとか、「こういう物を特注でつくってほしい」だとか、そういった案件が発生した時は私が担当しています。営業窓口から技術部へ情報の入れるところまで、さらにそれから出荷、納品まで全て私が担当しています。
――特注の案件だっていうのがわかるのは、問合せが入った時点ですか? それともまず、営業がまず情報を得て、「あのお客さんは特注で、オーダーメイドでつくってほしそうだ」と判断なさると、T.Mさんに話が入ってくるんですか?
両方ありますね。直接、私の部署に電話をかけてくださる方もいらっしゃいますし、もともと担当している営業に相談があって、「ちょっとこれは特注っぽいんで、T.M君、よろしく」っていうこともありますし。ケースバイケースですね。
――特注っていうのは、何がそう違ってくるんでしょうか?
お客さんの都合があってあまり詳しい事は言えないんですけども、医療機器の中でもX線装置を使った産業機器を扱うことが多いんですね。なので、お客さんからも「ちょっとX線を使って透視してみたい」「X線当ててみたいから、こういう装置が欲しいんです」というようなことを言われます。
――ありがとうございます、充分です。T.Mさんは、営業として要望を聞いてきて、「これならできますよ」と提案して……。いわゆる「設計」も担っていらっしゃるんですか?
設計は技術の担当に任せるんですけど、その設計の前段階のぼんやりしたイメージまでは、私の方でなるべく担当しています。お客さんの言っているぼやっとしたイメージを少し形にして、そこから設計担当に依頼するともっと具体的な形になって戻ってくる。そんな感じです。
――それをお客さんに認識があっているか確認してつくっていって、最終的に納品するところまで担当なさる、と。あまり想像ができないんですが、大体、ひとつの案件、どのくらいの期間で動いていくものなんですか?
早いものだと大体3か月とか。そんなもんでできちゃいますね。
――長いものだとどれくらいかかるものでしょう?
長いと、1年とか、1年以上とかかかったりします。
――それはお客さんの要望が複雑だったり、いろいろと細かかったり?
はい。あとは、例えば大学関係からのお仕事だったりすると、予算上、来年の案件になるけれど、仕様は先に詰めておいて、予算を申請しておかなければいけない、と、そんなパターンもあります。まだ設計は入っちゃいけないし、オーダーが入ってもいないんですけど、お客さんとしても「ここまでの資料がほしいんです」と。そういう場合は1年とかかかってしまうことがありますね。
■社長が「自由に動ける部」をつくろう、と。それで立ち上がったのが『開発営業部』
――入社されて5年間、ずっとその「特注担当」のポジションなんですか?
実は私の1年上の先輩が初めて開発営業部を立ち上げたんです。経緯はよくわからないんですけど、社長からそういった「自由に動ける部」をひとつつくりなさい、と、そんな指示が出たらしいんですね。
先輩が担当しているのは、私の医療機器とは違う変圧器関連なんですが……、弊社は「自動巻線機」と呼ばれるコイルをつくる機械を、産業機器として自分のところで設計しているんですね。それを当初は製造ラインに入れていたんですけど、機器自体も売り始めたら、結構売れたんですよ。
――なるほど。先輩は、巻線機の部門で開発と営業を新規事業として始めた。そこにT.Mさんも別の分野で流れに続いたというわけですね。
私が前職でたまたま医療機器の設計に携わっていたので、「じゃ、T.M君はこっちの方」ってことで、医療機器関連の新事業の仕事につながりました。
――では、先輩が巻線機、T.Mさんは医療機器で、役割を分担しているわけですね。
そうです、分野をそれぞれ担当しています。
■「医療」に関する仕事って、なんとなくカッコイイかな、と思って進路を考えた
――前職は医療関連の仕事、とのことですが、就活をしていた頃には、「医療関係でいこう」と決めていたんでしょうか?
決めていましたね。
――学校でもそういう勉強をしていらっしゃった?
学校も工業系の学校に通っていたんですけど、臨床工業っていって、パワーアシストとか、車椅子の電動のところをコントロールする、工業系でもちょっと医療とか、リハビリとか、福祉とかに近い研究室にいたんですね。だから、なるべく将来も医療系に携わりたいなぁ、と。モーターを使った医療系に携わりたいなと思って行ったのが前職の仕事ですね。
――臨床工業系の道に進みたいな、勉強したいな、と思ったのはいつ頃のことですか?
そんなに具体的には思っていなかったんですけど、自分の親父からは「電気は食いっぱぐれないから、電気系統に行きなさい」と、そう言われていましたね。
そこから「電気って、なんかマニアックだよな」って思ったので、「少し医療も入っているとカッコイイかな」って思って(笑)。もうそういうミーハーな気持ちです、最初は。
――でもその時医療というのがあったんですね選択肢に。
ありましたね。なんとなく医療とあればカッコイイかな、と。
――カッコイイと思います、私も(笑)。「医療機器メーカー」って聞くと、「あ、ちょっとお金を持ってそうだな」とか、そんなイメージがありますよね。
そうですね。そんな感じで、前職はそういったとこに携わるところを選んで就職しました。
――前職でも設計をやっていらっしゃったんですか?
設計です。設計しかやっていなかったです。
――設計をむしろメインでやっていたんですね。
この会社で実は初めて営業を経験しているんです。なんとなくわかると思いますが、僕はあんまり口が上手くないので……。
――いや、私、むしろ最初の挨拶から「営業の方だ」と思いましたよ。
あ、本当ですか? 実は営業はこの会社入ってからなんですよね。
――そうなんですね。話を戻しますけど、学校の時も設計をメインで勉強していた?
そうです、製図とかして。その後、会社に入っても、設計をやっていました。
――私、設計って、机に向かって、紙に定規を使って線を引いて、っていうイメージだったんですけど、最近では、CADだなんだって、パソコンを使って設計される方も多いですよね? T.Mさんは…?
まさにパソコンを使っての設計ですね(笑)。たまたま僕がいた頃、学校で初めて3D-CADを導入したんですよ。そこで勉強して、それからずっと、3D-CADですね。
――楽しかったですか?学校の時この道でいくのも、ありだなって。
ありだな、って思っていました。「ありだな」と思ったのは、絵を描くのと同じで――あんまりこういう事言うと設計者の人に怒られちゃうかもしれませんが――自分でいろいろ描けるのは楽しいな、と感じましたね。
■結婚するために、前職の仕事を辞めた
――前職はどれくらいいらっしゃったんですか?
3年で辞めましたね。
――それは何故辞めたんですか?
簡単に言うと、「結婚するから」ですね。前職は実は海外に行くことが多くて。設計者も海外の拠点によく行くことがあったんです。試作する度に、海外に行く。ほとんど日本にはいなくて、今の奥さんとお付き合いしている頃に、「いやぁ、これじゃ結婚できないよな」と。
そのうち海外に出向になる、という話もあったんです。そうすると3年、4年、日本には帰ってこられないっていう話になっちゃうんで。お互い結婚したいけど今のままじゃ結婚できないので仕事を変えたんですよね(笑)。
――「2人の将来を考えようよ」って?
そうですね、そういう話をしていたんで、「じゃぁ、国内の仕事に変えようかな」って。たまたま、この会社にご縁があって。
――その「たまたまのご縁」って私、いろいろな人から聞くたびに、「人生って面白いな」って思うんですけど、T.Mさんは、どうやってこの会社を知ったんですか?
実は、先ほど話した同じ部署の先輩が、もともと知り合いだったんです。先輩も別の会社から転職して、吉田電材工業で働いていたんですけど、たまたま昼からお酒を飲む機会があったんですね。飲みながら「そろそろ転職を考えようかなって思っているんですよ」ってこぼしたんです。そうしたら、「うちの会社を受けてみるのもありなんじゃない」って言われて。「でも…、営業ですよね?」って(苦笑)。自分は営業に向いていないと思ったので、少しネガティブなトーンで聞いてみたら、先輩に「設計を知っている営業って強いんじゃない?」って言われて。
今の先輩も、もともと営業職として働いていたわけではないことを知って、「こんな自分でも営業できているんだから、大丈夫じゃない?」って言われたら、なんかできそうな気持ちになっていったんですよね。縁というものがあるのだとしたら、吉田電材工業の社長と会ってみようかなって思えて。
――それは面白いですね。昼から飲んでいてよかったですね!(笑)
そうですね(笑)。
――それまでは、こちらの会社のことを知らなかったわけですか?
全く知らなかったです。
――お知り合いの方もいらして、「自分でも営業できているんだから」って言われたら、多少なりとも不安は払しょくされますよね。
■専門スキルや知識を必死に覚えた、入社してからの2年間
――実際に担当してみて、営業職はいかがでしたか?
始めた時はもう必死でしたね。開発営業部の先輩とは別に、もうご退任されたんですけど、営業の先輩に必死にくっついていって。当初は何を言っているのか、まったくわからなかったですね。「どこの言葉?」って戸惑うくらい。この業界のことを全然知らなかったし、特にX線を使う業界なんて知っていることがなかったんですよ。必死にメモして、それこそボイスレコーダーで先輩の話を録音して、家でそれを聞いて、自分なりに議事録をつくって。そうやって何とか乗り切っていました。
――どれくらいで、「あ、なんかわかり始めた」という感覚になりました?
私の場合、2年くらいはかかりました。
――2年も! くじけなかったですか?
逃げなかったです(笑)。ご縁もあって、この会社に入ったわけですし、あきらめたくはなかったですね。それに、後がなかったので、やっぱりそこは「どんなに苦しくても3年は頑張ろう」って考えて。苦しかったですよ、めちゃめちゃ苦しかったです。今思えば、「よく耐えたな」と自分でも思いますけどね。
――そうでしょうね! では、2年目くらいからわかり始めて、お一人で営業に出るようになったのは?
3年目くらいからですかね。
――3年目からいよいよ一人で営業として独り立ちみたいになって。でも「特殊な案件が来たらT.Mさん!」っていう、ある意味、社内でも特殊なお立場だと思うんですが、その立場になったのはいつ頃からなんですか?
今の部署と立場ができたのは、やっぱり3年目くらいからですね。それまでは、先輩のいうことを聞いて、ずーっとくっついていたんですけど、ある時から「分担しよう」って話になって。分担していくと、もう一人でやるしかないわけですよね。その時に、これは一人でやれることと、社内で相談してやらなければできないことがでてくるな、と明確にわかって。最初はいろいろと抵抗とか躊躇とかがありましたけど、いろんな方に相談して、助けていただいて。そうやって立場ができあがってきたのが、3年目くらいのことですかね。
――そこから「特殊な話はT.Mさんだ」と。そう社内でポジションを確立されていったわけですね。
まだまだ確立はしてないですよ(笑)。確立はしてないですけど、何か困った時に「じゃあT.M、あいつを呼んで来いよ」って言ってもらえるような、そんな雰囲気になったのは最近かな、と。
■社長は慎重で、勢いがある。先輩は…「悪党です(笑)」
――T.Mさんから見て、社長ってどんな方ですか?
社長は、慎重で、勢いがある方ですね。
――慎重で、勢いがある、ってすごく離れた2つのキーワードですけど(笑)。
なんでしょうね、必要な時は、勢いのある方ですし、事実、引っ張っていってくれます。でも逆に、相談して、「こういうことをやりたいんですけど」って言った時には、ブレーキをかけてもらえます。
ものすごく私としてはやりやすいバランスです。「やりたいんだったら、やればいい」っていう時もあるし、「いや、それだけはダメだよ」とか、「ここまではやっていいよ」とか。あと「この件は誰それに相談しなさい」とか。そういうことを適切に示してくれる存在ですね。緩急のある方ですね。
――もう一人、お聞きしたいんですけど、先にこの開発営業部をつくっていらした先輩の方はどんな方ですか?
あー、「悪党」ですね(笑)。
――悪党?(笑)
いや、本人にも言っているんですけど、商売上手だと思います。ずる賢い。こんな言い方しちゃいけないんですけど。
――頭がキレるっていうことですか?
そうですね、頭がキレる方ですね。戦略の第一歩はまず情報の収集だと教えられたんです。いろんなところから情報をとって、適切な手段を考えて、最悪なシチュエーションを考えて、常に行動しなさい。で、それは時には嘘も必要だよ、と。そう教わりました。
僕は入社した当時は「嘘は嫌い」って言って、結構ぶつかっていたんですけど。でも営業を上手くやるには、多少の嘘は必要かな、と。そういう意味で仕事は尊敬しています。
だけど人柄としては「悪党ですね」って言って。笑ってお互い言えるんですけど。
――確かに営業の仕事って難しいですよね。本当のことを本当のまま言うか、本当のことだけどちょっと演出して言うか。どこを、何を、「嘘」とするのかが難しいですもんね。
難しいですね。
――ただ「悪党」に見える、と。
そうです、一言で言うと「悪党」ですね。
――なるほど(笑)。先輩とはどれくらい、日常は、一緒に働いているものなんですか?
最近は仕事を結構任せてもらっているので、朝、その一週間の動きを確認して、1時間くらい一緒に仕事をしたら、もうその後はバラバラですね。
――そういうものですか。
何かあったら電話で、って感じですね。
――先輩もここの拠点にいらっしゃる?
はい、同じ敷地内で働いています。
■仕事と家族とどっちが大事かなって考えて、「これからは家族、家庭が大事だ」と決断した
――ちょっと話を変えて、プライベートの話を伺いたいんですが。前職のお話ででましたが、「結婚する」って考えた時に会社を辞めたわけじゃないですか、その後、結婚なさって?
しました。
――指輪されていますもんね。やっぱりそれで良かった?
そうですね。良かったって思っていますね。
――海外に行けなくなっちゃった、とか、前職に対する未練みたいなものもない?
当時は、正直言えば、結構迷っていましたね。「サラリーマンたるもの、出世してなんぼ」って思った自分もいたんですよね。だけど、仕事と、家族と、どっちが大事かなって考えた時、「これからは家族、家庭が大事かな」って思ったんですよね。今はそう選んで良かったなぁ、と思います。充実していますし、やっぱり設計から営業へと、仕事の幅も広がったので。家もだいぶ落ち着いてきたんで。無事に結婚もできましたしね。良かったなぁ、と思っています。
――なるほど。ちょっと価値観の事を聞きたいと思うんですけど。今、さらっと「出世」の話が出ましたよね。「サラリーマンたるもの出世」と思っていたということなんですが、もともとそういう「出世欲」だったり、「上に行きたい」みたいな想いは強かった方ですか?
強かったと思います。強かったですね(笑)。
――社会人になる前からもそうですか?
前からも、結構目立ちたがり屋でした。
■学生時代からずっと続けているのは「競泳」
――小さい頃はどんなお子さんでした?
小さい頃は、逆におとなしかったと聞いています。
――小さい時から目立ちたがり屋ではなかったんですか?
大学ぐらいから…、いわゆる「大学デビュー」だと思います。
――それまでは、自分の中ではどんな感じだったんでしょう? おとなしくって。
おとなしくって…。別にあんまり覚えてないですね。でも、派手なことはしていないですね。
――何か部活動はされていました?
部活動は水泳部をずっと。実は、今もやっているんですよ。
――そうなんですね! 水泳部では何をやっていたんですか? 泳ぎ? それとも水球とか、いろいろとあるじゃないですか。
競泳ですね。小さい頃からずっと、競泳です。
僕は覚えてないんですけど、もともと水泳を始めたきっかけが、親に「サッカーと野球と、どっちをやりたい?」って聞かれたんですって。両方、「嫌だ」って言って。「じゃ、体でも鍛えとけ」ってなって、「水泳やらせとけ」って水泳を始めたらしいんですね。結局、球技はへたくそなんですけど。中学とか高校に入った時の部活動も水泳部しか選べないんですよ。ほかのスポーツができないので(苦笑)。
それで、大学の時も、お世話になっていたスイミングクラブのインストラクターをバイトとしてやっていて。今はそこでチームに所属しているんです。有志のチームに所属して、大会に出たりとかしています。
――だから今、「今もやっている」って表現だったんですね。
だから、好きでやっているっていうよりは、もうそれしかなかったっていう感じなんですね。今でこそ、好きでやっていますけどね。
――そうなんだ、凄いですね。人生ずっと水に浸かっているわけですね。
浸かっていますね。塩素漬けですね(笑)。
■スポーツクラブでのアルバイト。泳ぎを教える他にも、高齢者にリハビリのアドバイスもしていた
――大学時代についてもお聞かせください。もともと設計や電気、医療といったキーワードの中から選んだわけですが、大学時代はどんなことをしている学生さんでしたか?
ほとんどスポーツクラブでアルバイトです。
あ! 今ちょうどつながった! ごめんなさい。
――どうぞ、どうぞ。
さっき「医療福祉」って言ったじゃないですか。スポーツクラブにアルバイトをしに行ったのは、半分は、それもあるんですよね。スポーツクラブでいわゆる「リハビリ」とかも含められるんで。大学は工学を学んで。リハビリを含む医療福祉と、工学、その2つが合わさるような感じの研究室を選んだ、っていう経緯があったんです。
そこまで真面目じゃなかったんですけど、大学では授業を普通に受けて。あとは、ほとんどアルバイトで、お客さんと話したりとか。そういう感じの学生時代でしたね。
――そのお客さんと話す「お客さん」って、私、勝手にスイミングスクールのインストラクターって聞いて、「子供と接しているのかな」と思っちゃったんですけど、「リハビリを含めると」っておっしゃるってことは、もしかしてご高齢の方とも接している?
おじいさんとおばあさんが多いですよ。子供のスクールって、ちょうど昼から夕方になるんです。
――学校が終わった頃ですね。
そうなんです。意外と大学が授業終わってからだと間に合わないんですよ。そこは社員さんがやってくれていたので。夕方から夜って、おじいさんやおばあさんが多くて。もちろん若い方もいらっしゃいますけど、そういった方のレッスンをしていたんですね。「クロール教えてください」「バタフライ教えてください」とか、そういう話ですね。
レッスンだけじゃなくて、プールの監視も主な仕事なんですけど、そういう時、おじいさん・おばあさんとは、「肘が痛い」「膝が痛い」…だいたいそんな話になるんですよ。「いい方法はないのか」って訊かれて、「こういうストレッチをやってください」とか、「最近、新しい道具が入ったんで、これ使ってみてくださいよ」とか教えて。「僕、これを使ってみたら、楽になりましたよ」とか、そんな話をしていたんですね。
――そっちの道に行こうとは思わなかったんですか? 福祉とかリハビリとか。
ちょっと思いました。インストラクターもいいかなって。
――そうですよね。
いいかな、と思ったんですけど…、給料安いんで。
――なるほど。
それこそ転勤があるんです。日本国内で地方への転勤があるんですね。だから、ちょっと合わないだろうな、って。就活の時に一回受けましたけどね。
――受けたんですね。
それなりに通りましたけど、やっぱりちょっと違うなと思って。
■仕事では、「あいつにやらせておけば、話が進むだろう」と一番に名前が挙がるのが嬉しい
――その頃、「働く」とか「就職する」とかを考える中で、「これは譲れない」という価値観、要素みたいなものってありました?
譲れないもの…。
――例えば給料とか。大事なものですよね。
んー。やっぱり、「やりがい」ですかね。最初はやりがいでしたね。だから、「海外行く?」って話があったら、「はい」って手を挙げて、「海外、行きまーす!」って。それで、いろんな経験させてもらって本当に良かったな、って思いますね。
自分がいろいろと役に立っているかな、会社の役に立っているかな、っていうのと、成長しているかな、っていうのと…、その2つを「やりがい」って言うのかはわかんないですけど、そんなところですかね。ごめんなさい、上手く表現できなくて。
――いえいえ。実際、こちらの会社に入ってから、その「やりがい」を強く感じたのは、どんな時でした?
そうですね、やっぱり、この特殊案件を担当した時ですね。
――指名で案件がくるわけですもんね。社外からも、社内でも。
そうですね。他の人にはできないわけですから。もちろん他の人にもできるかもしれないですけど、それでも「あいつにやらせておけば、話が進むだろう」と、一番に名前が挙がるなら嬉しいですよね。
あとは、一件目を成功させた時。いろいろとあったんですよ。社内では「もう、それは、やめろ」とか、正直、反対意見もあったんです。それでも「押し進めるべきだ」っていう方もいらっしゃいましたし。とにかくその頃は、「僕が何とか責任もってやります」と。社内の他の部署に助けてもらいながら図面ひいたりとかして、なんとか形にできたんで。いろんな先輩にご協力いただきながら、やっとできあがった時は感動ものでした。それが2年目の頃の話ですね。
――2年目、ということは、まだ先輩について営業を学びつつも、そうやって自分で案件を完成させつつ?
そうですね。そうでした。
1年目は情報収集の年でした。本当に、言葉を覚える、お客さんの顔を覚える。それが1年目。2年目からはポツポツと案件が出てきたので、その内の1件をなんとか成功させる。3年目からはそれぞれの案件を拡張して、その案件を増やしていく。4年目くらいから、段々と営業として一人立ちして、自分で量確保もして新規案件も模索していきたい、と。それで今が5年目ですね。
――この先、6年目、7年目ってどんな感じで考えていらっしゃいますか?
6年目でも7年目でも、それこそ10年目でも変わらなくていいと思っていて。ただ自分が植えた仕事の種を花開かせたい、それを増やしていきたい、と思いますね。今は先輩から譲り受けたものを広げていっている、というイメージなんですけど、まったく新しい、自分が最初に携わったものを開花させたいなと思っています。
――開発営業部ですもんね。新規事業の担当でいらっしゃるし。
そうですね、完全に新規事業なので、これからですね。
――「こういうことをやりましょうよ」とか、「こういうことができますよ」とか、そういった提案から新しいサービスができたらいいですよね。
そう、まさに、「新しいものをやっていきましょう」と。そういう意味で、社長が部署をつくったと思いますし。実際、「新しいもの、新しいもの」ってよく言われますしね。そういうものを自分の力で、まずはひとつ、実現させていきたいな、と思います。
■プライベートは今も水泳やっていて、頑張って自分のベストタイムをもう一回出すのが目標
――プライベートの方はどうですか? この先、こういうふうになっていきたい、といったビジョンはあります?
プライベートですか…。プライベートは今も水泳やっているんで、頑張って自分のベストタイムをもう一回出したいかな(笑)
――もう一回出したい?
学生の頃のタイムは、まだ出てないんでね。毎月出ているんですよ、大会に。
――すごい!
暇じゃないですけど、まぁ時間はあるので。結構、プライベートで時間をとれるので、毎月出ていて、徐々にタイムも上がってきているんで。普段も、例えば平日でも、仕事終わりに練習に行けると、タイムは上がっていくんですよ。だから、これをなるべく続けていきたいなと。ちょうど32歳なんで、「そろそろタイムが落ちてくる」っていろんな先輩から言われているんですけどね。
――それは体力的なものだったり?
体力的に。同じ練習をしていても、もうタイムをキープするのがマストになるんですね。なので、この2~3年でまた頑張って、タイムを上げていきたいなと。
あとは、体が締まるのはやっぱりいいですよね。
――いやー、本当ですよね! 「本当ですよね」って言うのは私34歳なんですけど、もう体型が戻らないですもん。あんなに食べてあんなに飲んでいたのに、「細いね」って言われて。
いや、充分細いですよ!
――いやいや(笑)。「太りたいですよー」と言っていたのに、今はもう「太りたい」なんて思ってもいないのに、どんどん体が膨らんでいってしまって。
本当、僕もそう思います。
――でも水泳を続けていらっしゃるからいいじゃないですか。「ガタイがいい人」って言われるでしょう?
そうですねー、そうなりましたね。一回前職の頃、水泳を辞めたんです。そしたら、太ったんですよ。
――それ海外に行き来していた頃?
海外だと外食になっちゃうんです、どうしても。それで、10キロ太りました。
――それはちょっと健康的じゃないですね。
ですよね。そこから元の体に戻すのは無理で、もう筋肉をつけるしかないと。
――「そぎ落とす」ってことはできないから筋肉に変えるしかない?
変えるしかない、って言って、多分、学生の時の僕の体と今の体を比べれば、今の方ががっちりしている。なのでタイムも、もうちょっと出るんじゃないかなあと思っていますね。
――こう話をしていても、嬉しそうですね。
そうですね。「水泳バカ」ですね、完全に。
――いや、でもいいですねー。私、今までインタビューした中で、ずーっと小さい頃から、学生の頃から何かを続けている人って、あまり会ったことがない気がして。しかも、それが自分の中のプライベートの目標になっています、って人も初めてお会いしたような気がします。例えば、「趣味として続けています」って言う人がいたとしても、大会に出たりとか、自分の中で競ったりとか、そういうのって何だか新鮮だなって思ってお話聞いていたんです。
ありがとうございます。
――多くの方が「趣味はこれです」「ずっとこれを続けています」って、パンって答えられえる何かを持っているわけじゃないと思うんですよね。だから、T.Mさんのことを、すごく羨ましいな、と思って。
ありがとうございます。多分、これは一人でやっているわけじゃないんで。チームでやっているので。
実は水泳も選手コースでやっていたんですけど、その頃に一緒に練習していたメンバーが、今また同じチームでやっているんですよ。有志で。皆、学生だったのが、社会に出て社会人をやっていて、家庭ができて、もう子供が生まれているメンバーもいたりして。それでも皆で集まって、月いっぺん大会に出て、場合によっては熱海にも大会のために出かけたりして。それはもう家族連れで出かけていって。
――家族も行かれるんですか?
そうなんです。それで一泊して、遊んで帰ってくる。一日目が大会、二日目が遊び。
――いいですね。
昔から知っているメンバーで今でも集まれている、っていうのは本当に嬉しいですね。
■会社内には、それぞれのプロフェッショナルがいて、立場も意見も「バラバラ」
――ちょっと仕事の話、会社の話に戻します。プライベートと仕事と、行ったり来たりですみません。
いえいえ。
――さきほど、新規事業の最初の案件の話をした時、社内でも「この辺でやめとけよ」っていう声と、「いいよ、やった方がいいよ」っていう声があった、ってお伺いしましが、こちらの会社にいるメンバーの方ってどういう方が多いですか? 社内の雰囲気だったり、社員のメンバーの人たちの共通点だったり、「こういう人がいっぱいいる会社なんじゃないかな」っていう印象はあります?
それぞれのプロフェッショナルがいるので、立場によってだいぶ意見が違いますね。だから、話はまとめづらいですよ、本音を言うと。
――皆さんがプロフェッショナルで、それぞれの切り口を持っているから。
例えば、営業さんは売上を上げたいからっていう目標でプロジェクトを進めたいじゃないですか。技術は新しい技術を開発しながらやりたい。逆に手のかからないことの方をやりたい。かたや品管さんという立場もある。品管さんは「そんな危ないことはやめてくれよ」と、そう言うこともある。
――「品質管理」ですね。
そうです。さらに、経営層は経営層として、「こっちの方向に進むぞ」って。いろいろな立場があるので、あまり好きな言い方ではないですけど、「バラバラ」です。だからこそ、まとめるのは大変なんですけど、逆に言えば、やれることは本当に多いんですよ。僕は一応、営業という立場にいますけど、時には技術の立場に立った意見も言ったりもするんです。気持ちはわかるので。
そういう意味で、会社としてやれることは、もっともっといっぱいあるなって思っているんですよね。
――バラバラっていうキーワードが出ましたけど、とはいえ、仕事なので、皆さんで方向をすり合わせてプロジェクトを進めていくことになると思うんですね。それは、どうやって、まとめていくんでしょうか?
それは、その案件の営業さん次第だと思います。どうしても、その営業が譲れないってことで、「私が責任もってやりますから!」ってなったら、多分周りも「ここまでだけど、手伝ってあげるよ」っていう感じになるのかもしれないですね。経営的に「方針は、これなんだ」となれば、当然、全員が力を合わせていかなければならないし。それは非常に難しくて…、結局のところ、人間関係に依るところもあるのでね。
さらに、僕はあんまり裏をかく事が非常に得意ではないので…(苦笑)。
――「嘘が嫌い」ですもんね?
嘘が嫌い、そうです(笑)。だから、「あくまでも僕はこう思いますけど、皆さん、どうされますか?」っていう枕詞をつけて話をするんですけど。やっぱり最終的には、経営層の判断で、ってなりますよね。
…っていう風に、サラリーマン的に、逃げちゃいけないんですけどね(笑)。
■担当としての、「私が責任をもって」という言葉
――ふふふ(笑)。でも、私、今、お話を伺っていて、気づいたんですけど。「私が責任をもって」っていう言葉が2、3回出てきたんです。その言葉を社内で使う会社、その言葉をおっしゃる人って、本当にいるんだなって、私、少し驚きながらも嬉しく思ったんですね。「自分が責任をもつ」っていう、その一言の重さみたいなものが、この会社にはあるんだな、って思って。
言っていました?(笑)
――最初のお客さんの話だったり、特注のお客さんのエピソードだったり。
特注の時は、そうですよね。
――もちろん、そういう責任をもつ立場になりやすい環境だとは思うんですけどね。
そうですね、腹決めていかないといけないこと、ありますよね。
――そうですよね。皆で一個のものをつくる、っていうゴールがありますもんね。
ただ、本来は「私が責任をもちますから」と言える立場ではないので。やっぱり私だけじゃなくて、先輩方と「やる時は心中ですね」って(笑)。「私も覚悟をもって、全力を尽くしますから」って言って、進めた仕事はありますね。
■めげなくて、チャレンジ精神のある人が、入社してくれたら嬉しい
――あと残り2つの質問をしたいなと思っているんですが。1つ目は、先に仕事の話。今後、社会に出ようとしている人たち、学生さんたちに、こちらの会社をお勧めするとしたら、どんな学生さんや、どんなマインドの持ち主に来てほしいな、と思いますか? あるいはどんな方が来たら活躍できるだろうな、ってT.Mさんは思っていらっしゃいますか?
チャレンジ精神がある方。めげなくて、チャレンジ精神がある方がいいですね。
――「めげなくて」が大事ですね。
どこでもそうですけど、チャレンジしたら、ブレーキをかける人っていらっしゃると思うんです。けど、新しいことをするって、そういうことなんですよね。
さきほど、僕が言ったように、この会社は何でもできる会社なので、やり切る学生さんが欲しいですね。誰に何を言われてもめげない。最後までやり切ってみる。それが上手くいっても、悪い結果になっても、いいと思います。「これをやったらと悪い結果でした」ってちゃんと報告できる、その最後までやり抜くメンタルがある学生さんが来るといいな、と。
理想高いですかね?(笑)
――いや、でも大事ですね。あとは、そういう人が来て、本当にめげそうな時に、T.Mさんが先輩として声をかけるってのが大事ですよね(笑)
「そういうこと、僕にもあったよ」って言えればいいですね(笑)
■人の話をうまく聞けないのがコンプレックス
――もう1個の質問をしてもいいですか? T.Mさん、とてもしっかりなさった方だな、と思うんですけど、自分の中で「ここがイケてないな」とか、「コンプレックスだな」とか、「こういうことが苦手です」とか、そういうのはありますか?
実は…、人の話を聞けないんですよ。
――えっ!
そうなんですよ、営業なのに(苦笑)。もともとインストラクターをやっていた時もそうなんですけど、話をすること自体は大好きなんですよ。話は自分ではめちゃくちゃ喋りたいんですけど、あんまり人の話は聞けてないな、と。
――それ、ご自身で思うんですか?
思います。やっぱりお客さんと話をしていてもまだまだだな、と思うのは、「間合い」ですよね。よくあるのは相手の方が喋り出すと同時に、僕も喋り出しちゃうことが結構あるんです。今日も何度かあったと思いますが。
――それは私がインタビュアーだから、「やばい!」って思いました。これは私の反省点です。
いやいや、僕には、独特の間があるみたいなんで。そこは営業として、人としてもですね、知れた仲だったら許されるのかもしれませんけど、初対面でこうしてお話しする時には、配慮が足りないのかな、って思うんですよね。それはコンプレックスとしてありますね。
――そうなんですね。ちょっと意外でした。
あまり人に話したりしたことがないんですけど、いつも考えていますね。打合せとか、話し合いとかが終わった時に、「あれはちょっと喋りすぎたな」「タイミングまちがえたな」ってよく反省しています。
――そうなんですね。真面目ですね!
そうですか? ありがとうございます。結構、「気にしい」なのかなって、最近自分で思いました。
いろいろと後悔します。夜寝る前とか。「あれはこうしておけばよかったな」とか。でも、いろいろ後悔するんですけど、途中で、「あー、考えてもしょうがねーや」って切り替えていますけど。くよくよしても仕方ないですしね。でも、特に、人付き合いとか、喋りのタイミングとかっていうのは、僕は苦手で、ちょっとコンプレックスがあります。
――そうなんですね。人って本当にわからないもんですね、聞いてみないと。
■この会社には困っていると手を差し伸べてくれる方がいる
――最後にもうひとつ、ミーハーな気持ちで聞いてもいいですか? さきほど「大学デビューした」っていう話があったじゃないですか。どう目立ったんですか? 何をしたんですか?
どう目立ったかな…。工業大学だったんで、眼鏡かけて、リュックを背負って、みたいな人が多かったんです。その中で茶髪で…、あ、金髪だったかな。
――似合いそうですね。
そうですかね、金髪にして、いわゆる「イケてるグループ」に入って。すごくそういうのを気にしていましたね、あの頃は。
――それは他の周りの目を気にしていました?
気にしていましたね。
――そうなんですか。やっぱり真面目なんですねきっと。話を聞いていると、物事にひとつひとつ向き合う姿が印象的、というか、考えるのが真面目なんだろうな、と思って。
うーん、そうなんですかね。そう言ってもらえると嬉しいです。
――私、今日はうまく騙されたな、って思ったんです。インタビュー始まる前に、人事の担当の方とお話していて、そこにドア開けて、T.Mさんがいらした。その時の、サッと室内の雰囲気を変えるオーラだったり、「営業なんだろうな!」って思わせる挨拶と名刺交換の仕方だったり。自信がある立ち居振る舞いで、「人と接するの、得意なんだろうな」って思わせたり。「ずっと営業職なんだろうな」って思ってしまったんですよ。
そういう印象でしたか?(笑)
――はい(笑)。でも、お話を伺ったら、小さい頃はおとなしかったり、営業もこの会社に入ってからだったり。とてもいい意味で、裏切られました。
それは多分、先輩の教えが良かったんだと思います(笑)。「悪党」の先輩しかり、もうご退任された営業の大先輩しかり。箸の置き方とかそういう事も教わったんで。
――営業として、こうしなさい、と。
はい。営業としての振る舞い方も。それなりのご年配で、経験のある方じゃないと、なかなかそういうことまで教えてくれる方は今、少ないと思うので。
「悪党」の先輩にも、やっぱりそういうのをたくさん教えてもらいました。信用していますよ? 「悪党」って言っちゃっていますけどね(笑)。
――営業として、しかも新規のビジネスを新しくつくっていくっていう時には、多少、情報の出し方とか伝え方とかを上手くやらないと、物事は前に進んでいかないですもんね。
そうですね。本当に、この会社も――前の会社もそうですが、「人に恵まれたな」って思いました。先ほども伝えたとおり、もともと人付き合いが上手くない方なので。これは本当にそう思っているんですよ。コンプレックスがあります。それでも、前の会社もこの会社も、困っていると手を差し伸べてくれる方がいるんですよ。「困っているんですよー」って相談に行くと、「どうした、どうした?」って。「じゃあ打合せをしようか」って。ケースによっては、部長クラスの方が仕切ってくれるので、非常に人に恵まれたな、と思っています。
今、ちょうど、仕事が上手く波に乗ってきたかな、って思っているんですけど。決して自分一人でやってこられたとは思っていなくて、いろんな方に本当にサポートしていただいたんですね。いろんな人に助けられて、やっと成功し始めたな、と思っているんで、本当に感謝ですね。前の会社も感謝です。今の会社も感謝です。
…すいません、何か変になりましたけど。
――私、何故か、いつもインタビューの終わりって偉そうな立場で話しちゃうんですけど、「人に恵まれた」とおっしゃる方って、大抵の場合、周りが「助けたい」と思う”何か”を持っている人だと思うんですね。「あいつ、困っていそうだな」っていうのを察知しても、「あいつのことは知らん」って声をかけない人もいるじゃないですか、多分。でも、「じゃあ打合せするか」って部長クラスの方が助けてくださったり、「自分に何かできることがあれば、するよ」っていうスタンスを見せる他部署の方がいらしたり。そういうのって、日常的に、周りはT.Mさんの働き方とか、仕事への向き合い方とか、そういうのを見ているがゆえだと思うんですよね。
「人付き合いが苦手」とか、「あまりコミュニケーションが得意じゃない」とか、そういう素顔を含めた魅力が、社内に浸透しているんだろうな、って。「そういうのって素敵だな」って思ったんです。そして、多分、そういう方が新しい開発をしていく時に、周りがナレッジとか経験とか、職人芸とかを提供してくれて、きっと次の新しい製品やサービスがカタチになっていくんだろうな、って思って。
そうだといいですね。
――T.Mさんのお顔を見て、T.Mさんのお話を伺っていたんですけど、なんかその背景に、いろいろな社員の方の存在を感じたひとときでした。
それは嬉しいですね。本当にいろいろな人に支えられているので。