• 芳賀大介

趣味が転じて仕事になって、人生を満喫中

今回は、仕事も趣味も自分らしく楽しんでいる芳賀大介さんにお話をおうかがいしました。不動産業から転職してIT業界に入った芳賀さん――そのきっかけは、「もともと自作PCが好きだったから」と言います。インタビュー当日は、「痛車(いたしゃ)」の持ち主でもある芳賀さんには、愛車で取材場所までお越しいただき、撮影にも応じていただきました。好きなことを自由な発想で極める「自分らしい」働き方、人生の送り方をお楽しみください。
インタビュー実施日:2018年1月24日(らしくインタビュアー渡辺)

目次

■リーマンショックでダメになってしまうまで、不動産の会社で働いていた

――今、担当しているお仕事を教えていただけますか?

IT業界で働いていますが、この業界って、とても広いんですよね。私は一般的に言われる「サーバー系」で、システムの設計や、構築をしています。

――普段、勤務されているのは、こちらの会社のオフィスではなく、お客さま先なんですよね?

そうですね、客先常駐です。1人で常駐する現場もあって、最初は私もそうだったんですけど、増員があって、今はうちの会社からは2人メンバーが一緒に働いています。

――複数のメンバーで常駐する時の立場としては、上司として行くことが多いんですか? それとも部下、メンバーとして?

現場によってまちまちですね。例えば、社内では後輩の立場であっても、常駐するクライアントで先に働き始めていた場合は、「その現場の中では先輩」となることもあります。

――この会社に入社されて5年半が経った、とうかがっているんですが、もともとIT業界にいらしたんですか?

いえ、実は、全然違う業界にいたんです。
新社会人の時は、不動産の仕事をしていました。でも、28、9歳くらいの時、リーマンショックがあったんですよ。不動産関連会社がバタバタとつぶれていったんですよね。私がいた会社も上場企業だったんですけど、私が辞めた後に倒産したんです。

――なるほど、そういう時代でしたね。

そうなんですよ。そのあとは、普通の、町によくあるような不動産の会社に移ったんです。でも、そこも、リーマンショックの影響でダメになっちゃったんですよ。25日になっても「給料が振り込まれない!」っていうのがありました。リアルでしょう(笑)?

――リアルです(笑)。ちなみに、学生の頃から不動産に興味があって、その業界に入ったんですか?

うーん…、そこまで強い興味はなかったんです。ただ、親が不動産業を営んでいたんですね。そのせいか、私も建物とか部屋とかには興味があって、実際にいろいろ見ることができたりするのは、それはそれで楽しかったんですね。楽しいけど…、でも、やはり、なかなか厳しい時代でしたね。 急に、ですよ、リーマンショックって。親会社がつぶれちゃうと、下の会社も影響を受けてどんどんダメになっていってしまう。会社がつぶれるときっていうのは、あっという間ですね。

――私は経験したことはないですけど、皆さん、よくそうおっしゃいますよね。

本当に、つぶれる時はあっという間です。「上場企業だし、まさか!」っていう感じですけど、本当に、あっという間でした。

■IT業界に飛び込んだのは、もともと自作PCが好きだったから

――不動産業界っていろいろな職種というか、いろいろな働き方、仕事内容があると思うんですが、芳賀さんはどんな仕事を担当していたんですか?

いろいろとやっていました。いわゆる飛び込み営業とかもしていたんですよ。「ここはちょっと…」っていう物件もあれば、明るくて気持ちのいい物件も担当しました。お客さんもいろいろな人がいましたね。契約書に書かれている人と住んでいる人が、どう見ても同一人物じゃないだろう、っていう人もいたりしてね。
個人に向けた営業もやりましたし、法人への売り込み営業もやっていました。扱うのも、テナントとか、オフィスとか、レジデンスとか…、本当に広く浅く不動産業をしていましたね。

――でも、世の中の流れでリーマンショックがあって、それをきっかけに業界を変えて転職をなさった、と。

同じ業界で転職っていうのは、もう現実的に難しかったんですよね。リーマンショックで心身ともに疲れていたので、「通うならせめて家から近くがいい!」っていう心境だったのと、「今さら不動産業はできない。他の仕事を探すか」っていう想いになったんです。その時、「どうせなら自分が好きなことをやるか」って思ったんですね。

――もともと好きだったものが、IT業界にあった?

もともと私、自作PCが好きだったんですよ。そこから、「実際にハードウェアを触るような仕事って何かあるかな」って調べたら、すぐに家の近くに、そういう仕事の会社あったんですね。しかも大手の、皆が知っているような会社で。
そこの会社に連絡をしたら、すぐに仕事が決まったんですよね。派遣社員ですけどね。時給もよくて。就職活動らしいことは何もしていなくて、すぐに面接してもらって、すぐに受かって。1社受けて、そのまま受かって、「ならば、ここでいいかな」って。「しかも、大手だ。ラッキー!」って。
「発売前のサーバー、いろいろと触れるよ」って仕事内容を説明されて、「私にうってつけです!」っていう感じで、すんなり仕事が始まったんですね。そこでそのまま3年弱くらい、働いていました。

――もともと好きなことですし、楽しかったんじゃないですか?

そうですね。バリバリ働いていましたね。とにかく発売前のパソコンをいろいろといじって、LANカード(PCなどの機器をLANに接続するための拡張カード)とか、RAIDカード(複数台のハードディスクを組み合わせて、1つの仮想のハードディスクとするためのカード)とかいじって、ハードディスクを設定したりして。とにかく発売前のテスト仕様書を作成して、それに基づいて、問題がないことを確認して、報告する、という仕事をしていました。当時は3か月単位で新しいパソコンが売り出されるのが通常だったので、そのスパンでどんどん最新の機種を触って、テストして、出荷を待つ、っていうサイクルで働いていました。

■勉強は得意じゃないし、好きでもない

――そこで働いていらして、3年ほど経った後で、今の会社に入ったわけですよね。そのきっかけは?

社員さんと私の親友が、たまたま知り合いだったんですね。先ほど「3か月スパンで」っていう話はしましたけど、結局、当時やっていた仕事は、そんなに変わらないんですよね。常に同じ仕事の繰り返しなわけです。ある時、「このまま年を取っていくのは、やばいんじゃないか」って急に不安に思ったんですよね。確か、30歳くらいの時でしたかね。
たまたま親友がネットワーク系の仕事をしていて、「ステップアップしたい、っていうか、要するに、別の新しいことをしてみたいんだけど」って話したら、「知り合いが人を探しているから、紹介しようか」と、そんな流れになったんです。

――その時も、トントンと?

トントンと(笑)。実は私、先ほどの話もそうでしたけど、就活とか面接とかで苦労したことないんですよ(笑)。他の人の話で「10社受けて、やっと1社、内定もらったけど…」っていう経験をよく聞きますけど、私、そういう経験って、全然ないんですよね。基本的に1社で決まる、っていう繰り返しですね。

――でも、きっと大手企業にいた時の仕事と、こちらの会社の仕事って、違うわけですよね? 不安はありませんでした?

全然別なので、不安はもちろんありましたけど、とりあえずやってみるしかない。やってみてダメだったら、仕方ない。やる前には何もわかりませんからね。当時もそう思っていましたね。

――面接の時に、そういうことは相談なさったんですか?

私も全然知識がないので、あれこれ突っ込んで話ができる状態でもないわけですよね。「それでも全然大丈夫です。来てください」って言ってもらえたので、来た、という感じです。

――おそらく今ほどに社員の方もいらっしゃらない時期だったかと思うんですけど、入社後、仕事が始まるまでの流れはどんな感じでしたか?

もういきなり現場に連れていかれました。何ができるか、できないか以前に、せいぜい「前は、こんなことをやっていました」って言うことくらいしかできないので。今でこそ多少なりともわかるようになりましたが、「構築」っていうのが基本かな、っていうくらいの知識レベルだったんですよね。「設計書」というか「手順書」というか、そういうのがあったので、書いてあるとおりに構築していくんだな…、っていうところから始めました。

――そんな感じで仕事を覚えていけるものですか?

いや、でも、そういった書類も日本語で書いてありますし、多分、渡辺さんが想像しているほど、そんなに難しくないですよ。

――サラッとおっしゃいますけど、業種が変わって、いろいろ勉強なさったり、調べたりなさったんじゃないですか?

正直な話を言ってしまうと…、私、勉強は得意じゃないんですよ。好きでもないんですね。だから事前に調べて学んでから、っていうよりは、行き当たりばったりで、「ダメだったら、周りの人に聞いてみよう」っていうのが私のいつものスタンスですね。今もそうなんですけどね。
IT系って、いいにしろ悪いにしろ、仕事を家に持ち帰るってことができないんですね。情報を持ち出すことができないので。そういう意味では、私は現場重視です。私は自分ではできないので、世の中の「仕事を家に持ち帰って勉強する」っていう人を「すごいなー」って尊敬します。頭が上がらないです。

■もともとのゲーム好きが転じて、パソコンをいじり始めた

――もともと自作PCが好きだった、という話ですが、それはいつごろから?

中学生くらいですかね。Windows95が出て、秋葉原がにぎわい始めたころですかね。 もともとはゲームが入口だったんですね。シミュレーションゲームが特に好きだったんですけど、当時、『信長の野望』っていうゲームがあって、それがきっかけです。ゲームって、どんどん新作が出てくるんですね。そうすると最初に買った安いPC…安いって言っても当時30万円くらいしましたけど、そういうPCがどんどん古くなっていくんですよ。「お前のPC、スペック足りないぞ」って言われたりすると、「じゃぁ、どうしたらいいの」って思いますよね。学生だから気軽に買い替えることもできなくて、CPUを変えたり、メモリを増設したりしていって。

――お友達もそういう詳しい人が多かった?

そうですね、今思えば、「なんで、あいつは、あのころからそんなに詳しかったんだ?」って思いますけど、そういう友達がいたんですね。今も関係が続いています。

――確かに、そういう友達って私にもいました。「パソコンの動作が遅い」って相談したら、パソコンの横脇の蓋をはずして、チョコレートみたいな板をはめて、ってサポートしてくれた友達がいました。

まさに、そんな感じですね。そこから私自身も、どんどんのめりこんでいきました。秋葉原にも行くようになってね。あの時代が一番よかったです。バイトして、稼いだお金を全部、自作PCにつぎ込む、みたいな感じでした。

――学生の頃の部活とか活動っていうのは?

その頃から、オタク的な趣味を持っていて、中学・高校時代は美術部でした。美術部ですけど、作っているのはプラモデル、みたいな(笑)。オッケーだったんですよ。ガンダムをつくってばかりいましたね。家だと「スプレーが臭い」って親に怒られるんですよ。だから美術室で、堂々とスプレーしたりして(笑)。

あとは、漫画好きで、図書委員になったりしてね。学校の図書館に漫画を導入しました。私の意見で。

――え? 学校の図書館に漫画ですか?

さすがに流行っている新しい漫画はダメだったんですけど、手塚治虫や、藤子不二雄や、そういう誰もが知っているような作品を「導入しましょう」って説得して、その話が通っちゃったんですよね。「『手塚治虫大全集』ならよし」みたいな感じでしたね。

――すごいですね(笑) ものすごくアグレッシブですね。

そうかもしれませんね(笑)

■タバコがダメで部活には入らず、かわりに始めたのがラーメン屋でのバイト

――大学に進学されてからは、いかがですか?

それがね、大学には深いオタク系サークルがたくさんあって、嬉しかったんですけど、当時は、どこでもタバコを吸っていたんですよね。部室でも居酒屋でもカラオケでも、皆、タバコだったんです。私、喉が弱くて、タバコが本当にダメで。だから、入部したいなって思うところはあったんですけど…、ダメでしたね。大学で、そういう友好会とかサークル活動とかには入れなかったんです。代わりに、バイトを頑張っていました。

――バイトは何をしていたんですか?

割となんでもいいと思っていたんですよ。どちらかというと時間が重要だな、と思っていて。バイト行くのに、バスに乗ったり、自転車に乗ったりするのは嫌だな、って思っていたんです。近くだったら、どこでもいいかな、って。今もそうですけどデブだし、運動もあまりしないんで(笑)、少なくても体を動かすバイトがいいなって考えて、徒歩で行ける距離のラーメン屋さんでバイトするようになったんですね。

――ラーメン屋って体を動かすところですか? 食べるところじゃなくて(笑)?

その両立ってことで(笑)。なんだかんだ、社会人になってからも、10年くらい働いていました。

――10年! それはすごいですね!

不動産業界の頃ですが、1社目はともかく、2社目の時は「残業代を出せないから、定時であがってね」って言われていたんです。だから、昼の仕事が終わった後は、ラーメン屋でのアルバイト、っていう生活を送っていました。当時はもう一人暮らししていたんで、まかないも出るし、余った食材をもらったりして助かりましたし、バイト代も夜間手当が入って、結構いい収入になったんですよね。

――そうは言っても、2つの仕事のかけ持ちは、きつくなかったですか?

ラーメン屋って、深夜2時とかに仕事が終わるんですよ。3~4時間は睡眠が取れますよね。若いから、そんな生活で大丈夫だったんです。

――そうか、バイト先も家からも近いし!

そうそう。だから、10年くらい働いていたんですよね。IT業界に入ってから、残業が当たり前になって、ちゃんと残業代も出るようになったので、ラーメン屋のバイトは辞めました。

でも、当時のバイト先のメンバーには、大きな影響を受けたんですよ。

――その影響とは?

車なんですよね。ドライブです。

■毎週金曜日は、夜中の2時に仕事を終えて、箱根まで車を走らせていた

当時、若いお兄ちゃんたちが一緒にバイトしていたんですよ。話を聞いてみたら、彼らは昼間は、某有名自動車の整備士の仕事をしているって言うんです。そういう人が2~3人いたんですね。今はわからないですけど、当時は整備士って給料が低かったみたいなんです。「手取り20万円」なんて夢の世界みたいな感じらしくて、「バイトすれば金にもなる、飯も食える」って言って、皆、ラーメン屋でバイトしていたんですよね。整備士って、当たり前といえば当たり前ですけど、車好きで走り屋が多いんです。そんな彼らの影響で、私自身も、車にハマって行ったんです。
金曜日は、夜中の2時に勤務が終わると、川崎から箱根まで行くんですよ、毎週のように。「今日は雨が降っているからドリフトやり放題だ!」とか言って。タイヤが減らないんですよね、路面が濡れていると。20代だったからできたことですね(笑)

――ちなみに箱根まで行って、観光して温泉に入って帰ってくる、っていう感じですか?

いやいやいや、その時間って温泉なんてやっていないんですよ。しかも深夜なんで、働いていた川崎から2時間かからずに箱根に着くんです。それで、その辺でぐるぐる走り回って、満足なんですよね。当時、『頭文字D(イニシャル・ディー)』とかが流行っていたころなんですよね。

――走り屋の若者たちを描いた作品の?

そうです。そこから私たちも「イニD小僧」とかって言われて。走るだけでいいんです。夜中、箱根まで行って、走って、海沿いの道を帰ってきて、朝の7時くらいには川崎に着いて寝る…っていう感じでしたね。

――金曜日は長いですね(笑)。

金曜日は長かったですね(笑)。昼間働いて、夜働いて、夜中に車に乗って…っていうのを毎週していましたね。

――もう少し趣味の車の話をおうかがいしたいんですけど、車はもともと好きだったんですか?

運動が苦手なんで、運転っていうのもダメだと思っていたんですね。運転免許も親に「男はマニュアル免許持っていないとダメだ」とか言われて、無理やりだったんですよ。記述の試験は割と簡単に受かったんですけど、実技は落ちて、すんなりとは行かなかったんですね。免許取ったときは、本当に車なんて嫌いだったんですよ。

――そうすると、取ったばかりの時は、車はなくて、いわゆる「身分証明書のひとつかな」くらいだった…?

いや、それが、なかなか素晴らしい両親なんですが…、運転免許を取って家に帰ってきたら、車があったんですよ。どうやら兄貴が忠告をしていたらしくて、「あいつは絶対に“事故る”から、丈夫で古い車を与えておけ」って指示を出していたらしいんですね。当時は…、セドウィックかな、チェイサーかな、そんな中古車が用意されていたんですよ。

――すごいですね! 免許を取得して、すぐにドライブを始めた?

ところがどっこいですね、その頃は運転が嫌いだったし、自信も全然なかったので、その車は1か月経たずに廃車になりました。事故を起こして。ブレーキとアクセルを踏み間違えて、電信柱に突っ込んだんですね。

――あらら。ケガはなく?

幸い、ケガはなかったんですね。

――よかった、そして中古車でよかった(笑)。では、ご家族も、芳賀さんが運転することを諦めた?

それが、また家に帰ったら、次の車があったんですよ。

――どれだけ恵まれているんですか(笑)。

その時は姉の旦那さんが車を買い替えるっていう話になって、買い取り価格もたいしたことないからっていう理由で、マツダのセダンを譲り受けたんです。それは事故を起こさず、最後まで乗っていました。その時に運転って面白いなって思い始めたんです。マツダ車のハンドルって面白いな、とか。わかり始めたんですよね。

■「アニメ好きだし、車好きだし、合体させちゃえばいいじゃん!」ってひらめいた

――先ほど、愛車を見せていただいたんですが、すごいデザインですよね! 一般的には「痛車(いたしゃ)」って呼ばれていると思うんですけど、その名称で呼んでいいですか?

「痛車」で大丈夫です。当初は「萌え車(もえしゃ)」って流行らせたかったんですけど、いつしか「痛車」が一般的になっちゃいましたね。

――「痛車」に乗るようになった経緯をおうかがいしたいのですが。

「痛車」に行き着く前に、車にパソコンを乗っけたんですよ。 当時、音楽を聴くためにMDがありました。

――ありました、ありました。CD、カセットテープ、MDってありましたよね。

そうそう。その後、CD-Rが当たり前になっていきました。音楽取り込んだり、音楽CDをコピーしたりしてね。そんな時、私は、社内で音楽を流して聴くために、わざわざMDに音楽を入れたり、CD-Rにコピーしたりするくらいなら、パソコンでクリックした方がいいじゃん、って思ったんですよね。
それがだんだんとスペックがアップしていって、音楽だけじゃなくて、映像もDVDで再生できるようになって、「お、車でDVD再生できるじゃん!」って思うようになったんですね。それと並行して、流すのも、音楽じゃなくて、アニメになっていったんですよ。

――最初は、外じゃなくて、中だったんですね。

そうです。箱根に行くと、派手な車が多いんですよ。でも、真似するっていうのが嫌だったんですね。ナンバーワンよりオンリーワンがいいなって。他の人がやっていないことをやろう、って考えた時、他の走り屋の人たちは車のロゴとか、メーカーとかを車体に貼っていたんですけど、私はそうではなくて、アニメのロゴとかメーカーとかを乗せたらかっこいいんじゃない?って思ったんですよね。「アニメ好きじゃない、一般の人が見たら、『あれは何を貼っているんだ?』って感じで、わからないんじゃないか」とも思い始めて。面白いんじゃないかって。それで、アニメのデザインを貼り始めたのがきっかけですね。そうやって、痛車っていうジャンルを開拓していったんです。

――え? 芳賀さんが開拓していったんですか? すごい! 当時は、周りには、そういう人はまだいなかった、ということですか?

いなかったんですよ。私が初めてです。

――今でこそ、秋葉原に行ったら、「こういうジャンルがあるんだな」っていうくらいに、痛車が当たり前にありますよね。しつこくて申し訳ないんですけど、当時はまだなかった?

なかったんです(笑)。単純に、「アニメ好きだし、車好きだし、合体させちゃえばいいじゃん!」って思ったんですよね。好きなものを好きなようにやっただけなんです。別に「すごいことをしてやろう」っていう気持ちはなくて。

――すごい発想ですね。柔軟! パソコンと車、アニメと車!

本当に好きなことを好きにやっただけなんです。誰もやっていないから、やっちゃえばいいじゃん!っていう感じですね。

――周りの反応はどうでした?

反応は良かったですね。だからこそ皆が真似したりしてね。
オタクに限らず、普通の車好きの人から訊かれるようになったんですよね。「こういうのって、どこでやるの? 俺、知らないんだけど」って言われて、「それはそうでしょう。私が勝手にやっているんだから」ってね(笑)。普通なら車のチューニングショップに持っていくんですけど、その時代には、アニメを貼るサービスをやってくれるショップは、まだなかったんですよね。だから私は看板屋さんに行ったんです。
例えば、時々、バスとかに広告が貼られたりするじゃないですか。結局はあれと同じなんですよね。ただ、車屋さんではやっていなかったので、看板屋さんで印刷だけしてもらって、カットしたり、貼ったりするのは自分でやったんです。

――楽しくて仕方がなかったんじゃないですか?

楽しかったですね。今はあちこちのショップで作ってくれるんですけど、やっぱりマンガとかアニメとかは著作権とかもいろいろ関係するので、店舗がオフィシャルにやることはできないんですよね。だから、「印刷してください」って原稿を持ち込んで、印刷する部分だけお願いするっていうのが一般です。

■前もって勉強しないから、既成概念がなくて、自由な発想ができる

――先ほど、車の後ろにモニターがついていたような気がするんですけど、あれは?

あれはPCモニターですね。好きな動画を映しています。

――誰が見るものなんですか? 芳賀さんは、運転している時は、見られないですよね?

前の席で映しているものを、後ろのモニターにも映しているだけなんですよね。

――なるほど! 後ろの車にも見せてあげている感じですね。

そうです、そうです。これも昔、不満があって。オーディオビジュアルにこだわった車って、昔からあったんですよ。でも、小さいモニターを沢山つけているだけだったんですよね。私は常々、それを不満に思っていて、「なんで皆、小さいモニターをたくさんつけているんだろう? 大きいモニター付ければいいじゃん」って。「そうか、それならパソコンモニターをつけちゃえばいいじゃん」って思いついて。単純な発想なんですよ。しかも、そっちの方が安いんですよね。

――考え方が柔軟ですよね(笑)。「これとこれをくっつけちゃえばいいじゃん」って言うのって、思いついた後に話を聞けば、皆、「そうだよね」って思うと思うんですけど、最初にそれを思いついて行動に移すって、なかなか多くの人ができることではないと思うんです。

それは私が多分、前もって勉強しないからだと思うんですよ。勉強しちゃうと、「こうやってやるんだ」って思いこんじゃうというか。既成概念を見ちゃうと、発想がつぶれてしまう。私には、そういった余計な知識みたいなものがないんですよね。単なるひらめきですよ。「こうしてみたらいいじゃん」って。できるか、できないか、はやってみないとわからないですもんね。できなかったら、周りの人に相談して、「こうやってみたら?」って教えてもらって、「じゃぁ、それでいこう」って。だから、よく見ると、あの痛車も汚いんですよ。自作なんで。自分でカットした部分は、ギザギザしてたりしますね。

■「痛車」でのドライブ以外の趣味は、「サバイバルゲーム」と「ライブ」

――サバイバルゲームも趣味なんですよね?

オタク趣味なんですよね(笑)。

――サバイバルゲームは、オタクなんですか?

どうでしょう、今でこそ有名な遊びのひとつになりましたけどね。
私の場合は、映画とかの影響を受けて、銃とか好きになったんですよね。おもちゃのエアガンを買うわけですよ。当然、買うんだから、撃ちたくなりますよね。

――それは、いつ頃ですか?

高校の時ですね。当時から大人のチームに入っていたんです。でも、エアガンって厳密には18歳以上じゃないと買えないっていう決まりがあるんですよ。結構、厳しいんですよね。当時は、今ほどには厳しくなかったんですけど、私はちゃんと親の承諾書を得て、やっていましたね。

――その当時は、サバイバルゲームっていうとオタクっていう印象でした?

皆で迷彩服を着て、何やっているんだ? みたいな存在だったと思いますね。まだ一般的ではなかったです。当時は、隠れるというか、目立たない存在だったと思います。

――銃を持って歩き回っているなんて、やばいんじゃないか、って皆が思っていたのかもしれないですね。

迷彩服を着ているだけで、警察の職務質問にもよく合いましたね。「ちょっとカバンの中、見せてー」って感じで声をかけられていましたね。
就職をして、不動産業界で働いていた頃は土日も仕事が入ったりして、サバイバルゲームからは離れていたんですね。サバイバルゲームって、基本的に活動するのは土日なんですよ。
それで、また最近、復活した、みたいな感じですね。
ちなみに、近頃では、一言で片づけられないくらいサバイバルゲームのジャンルも細分化されているんですよ。女性のファンも増えて、猛烈にファン人口が増えている分野なんです。

――私の周りにも「サバゲ好き」っていう人がいますけど、スポーツの一種みたいな感じにも捉えられていますよね。

そうですね。

――趣味の話が続きますが、ライブも好きとか?

水樹奈々さんが大好きなんです。ライブって言っても、水樹奈々さんのライブしか行かないんですけど、全国ツアーがあるので、行けるところはあの車で駆けつけます。フェリーに乗ったりしてね。

――本当に、プライベート人生を満喫していますね!

趣味って、飽きちゃったりして変わる人も多いと思うんですけど、私の場合は、どんどん増える一方で楽しいんですよね。

――こんなに趣味人生を楽しんでいる大人って、久しぶりにお会いした気がします。

■結婚は、いい人に巡り合えたら。趣味が楽しくて、今は恋愛の時間がない

――恋愛とか、結婚とかは?

いい人に巡り合えたら、程度ですね。趣味が楽しいんで、あまり考えていないんですよ。考える暇がない、というか(笑)。

――サバイバルゲームが女性にも人気になっていて、出会いとかもありそうですけど、どうなんですか?

確かに、ITの現場で、「今度、サバゲに行くんだけど、行く?」って誘って、「行きたい」って言われて、一緒に遊びに出かける人はいるんですよ。ライブも同じ感じですね。でも、特に、恋愛には発展しないんですけどね(笑)。

――「結婚したい」っていうのも、そこまで強い願望はないんですね。

現実的に、そうですね。あと、私が次男っていうのもありますね。兄も姉も結婚して、子どもがいて、別に芳賀家が断絶するわけではないので、満喫していますね(笑)。

■周りの人には「個性的」「屈託がない」と言われる

――ちょっとここから、事前のアンケートを見ながら、お話をおうかがいします。「周りの人にはどう映っているか」という項目には、「個性的」「屈託がない」ってお答えになっていますけど。私も、まだ45分くらい、お話しをさせていただいただけですけど、その印象です(笑)。

どうなんでしょう。結構、後先考えずに、素直に言っちゃうんですよ。後から考えると、「あ、言わなきゃ良かった」って思うこともあるんですけど、考えるよりも先に言っちゃう。そういうところはあります。

――それは末っ子だから、っていうのってあります? お兄さん、お姉さんの姿を見ていて、「ここまでは許されるんだな」って分かっていた、とか?

どうですかね。実は、兄も姉も歳が離れているんですよね。だから、きょうだい喧嘩もしたことなくて。喧嘩の対象にすらならないんです。

――いくつ離れているんですか?

兄が8歳、姉が10歳離れているんです。だから、一緒に遊んでもらうっていうよりは、もう、違う世界でしたね。完全にからかわれていた感じです。

――今はどうですか? 一緒に過ごすことはあるんですか?

そうですね、映画を見に行ったり、クリスマス会をやったりしますね。「どこか食べに行く?」って言われたら、あの車で行ったりしてね。

――すぐに見つけられるからいいですね!

特に、姉は全く抵抗がなくて、一緒に車でライブに行くこともあります。

――お兄さんはどうですか?

兄は、今、ちょっと遠くに住んでいるんですよね。
でも、きょうだいの話で振り返ってみると、兄も、ゲームのFF(『ファイナルファンタジー』)にハマっていたりしたので、その頃は、私がパソコンを調整してあげたりしていました。「最近のゲーム、画像がカクカクしている」って言われて、「それはグラフィックを強化すれば、いいんじゃない?」って感じのアドバイスをしていました。家族皆、PCサポート系は、私に来ていましたね。

■仕事は週末を楽しむためにお金を稼ぐツールかも

――先ほど「ナンバーワンより、オンリーワン」っておっしゃったんですが、仕事でも、そういう心づもりはありますか?

仕事では、どうでしょう、そんなに意識したことはないですね。

――ちょっと乱暴な質問ですけど、芳賀さんにとって「仕事」って何ですか?

…難しいですね。

――好きなものから始めていった、っていう、入口がありましたよね。「パソコンをいじりたい」っていう気持ちがあった、って。でも今、担当しているのは、サーバーや、システムや…で、趣味ではないと思うんですよね。

それは全く違いますね。最初こそ、「なんとなく趣味が役立つかな」って思っていた時期もありましたけど、今は全くそんなことないですね。趣味ではないです。仕事はなんでしょう、働いて、お金を稼がないと生きていけないですからね。欲しいものが買えないですし。

――週末を楽しむために、働いている、っていう感じですか?

そうですね。うーん…、仕事がツールになっちゃっているかもしれないですね。

■会議は同じ空間で顔を見て話し合う形式いい。IT業界に多いWEB会議は苦手

――仕事の中で、苦手なことっていうのはあります?

やっぱり知らないことがあると焦りますよね。会議とかで、わからないキーワードが出てくるのも困ります。自分だけが知らなかったりすると、どうしようかな、って思います。
うちの会社の働き方って、プロジェクトごとに、現場が変わるんですよ。本当に一か月で終わってしまうものもあれば、数年の期間に渡るものもあります。私の場合は結構長いプロジェクトに入ることが多いんです。比べて、他の人って、職務経歴書を見ると、3~4か月で現場が変わっているんですね。だから経歴書に書かれている文章の量が、私の3倍とかあるんです。
現場の仕事って、似ているようで、やっぱり各現場でそれぞれ違うんです。そういう意味では、どこに行っても、最初は知らないこと、わからないことが多いんです。
現場初日に、分厚いマニュアルをドーンと渡されて、「これ読んでおいて」って言われることもあるんです。「まだPCが手配できていないから」って。私としては、「『人が足りないからすぐ来て、明日からでも来て』って言われた割には、PCもないのかぁ…」って感じなんですよね。「これを読まなくちゃいけないのかぁ…」って。

――勉強嫌いなんですよね(笑)。どうするんですか?

まぁ、読むしかないですよね。パソコンがなければ仕事もできないので、とりあえず睨めっこするんですけど…、きついですね。私は、自分で触って、手を動かしていたいんです。自分で動かしてみて、わからなかったら、聞いてみる。それが好きなんですよね。
あとは、IT業界って、意外とWEB会議が多いんですよ。同じ空間で話し合うのではなく、遠隔でネットをつないで、画面で会議をする。あれも意外と慣れていないと辛いんです。私がわかっていないところで、どんどん話が進んでいっちゃうんですよね。

――わからない顔をしている、っていうことに気づきにくいですもんね。

会議の後には議事録を作成することになっているんですけど、暗黙のルールがあって、たいていの場合、議事録は下っ端が書くものなんです。入ったばかりの私が担当になると、わからないことだらけで、「やばい!」ってなるんですよね。

――どうするんですか?

聞くしかないです。なるべく話しかけやすい人に相談するんですけど、WEB会議で画面越しにいるその人は、物理的にすぐ近くにいるわけではないので、それも悩みます。そういうのは慣れるまで、辛いですね。やっぱり会議は同じ空間で、がいいです。WEB会議は苦手です。
名前と顔を覚えるのが、そもそも大変で。議事録を作ろうにも、参加者がわからない。この発言は誰のものだ、っていうのも紐づかないんです。苦労しますね。

■とりあえず、やばそうだな、って感じたことは、「これ、大丈夫ですか?」って声を挙げてみる

――何か、この仕事をするうえで、意識していることってありますか?

やばそうなことは早めに共有するようにしています。
この業界って、一人で悩みを抱え込む人って少なくないと思うんです。技術系の人は、抱え込む人が多い印象なんです。抱え込むといいことがないんですよね。精神的にもまいっちゃいます。私なんかは「いいじゃん、話しちゃえば」って思って、なんでもかんでも話しちゃうんですけど、そういう人ばかりではないんです。私もさすがに、30も後半になって、今さら初心者みたいなことを聞くのはきつくなってきますけど、だからこそ若いうちは、どんどん話して、聞いていって、吸収できることは吸収していった方がいいと思うんですよね。

――それはぜひ、後輩や若手の世代に伝えていきたいことですね。

そうですね。目先の簡単なことばかりやって、実は重要なことを後回しにしてしまう…それってよくないですよね。でも、往々にして、そういうことって起こりがちですよ。だから、とりあえず、何でも気づいて、やばそうだな、って思ったことは、「これ、やばくないですか?」って言ってみる。もしやばくなかったら、それはそれで良くて、もしやばかったら、「気づいてよかったね」ってなるじゃないですか。だから、やばそうなことは早めに共有するようにしていますね。

■アイトライという会社は、社長含めて、話しやすい人ばかり

――芳賀さんにとって、アイトライってどういう会社ですか?

入社した頃は、衝撃を受けることが多かったですね。
それまでいた不動産業界って、扱う金額も大きいし、社風も堅いところは堅いんですよね。結構厳しいところもあって、例えば、始末書も当然あって、私も書いたことがありますし。
それに比べると、IT業界って、ゆるいんですよね。今でこそ、いろいろと気を遣わなければいけないことも増えたと思いますけど。
例えば、入社に至るプロセスにも、アットホームな社風にも、衝撃を受けまして。いわゆる面接とか面談とかって、正式にしていないと思うんですよ。喫茶店と居酒屋で話をして、「じゃぁ、来てね」って。そんなところにも衝撃を受けました。

――入られたとき、社員って何人くらいいらしたんですか?

5、6人くらいだったと思いますね。

――まさに創業期だったんですかね。

本当に、こんな会社もあるんだな、って。

――ひとつ前のキャリアが、大手の関連企業だと、さらにびっくりですよね。

そうですね。

――アイトライさんに勤めて5年以上が経過して、会社の規模も大きくなっていますけど、入社した頃に感じたアットホームな社風って、続いていますか?

続いていると思いますよ。

――それは何だと思います?

やっぱり社長の人柄じゃないですかね。小さい会社って、社長の人柄で決まると思うんですよね。
「社長」っていう肩書を持つ人って、話しかけづらい存在だと思っていたんですよ。不動産業界で2社目に務めていた会社も、小さい会社で、10人もいないくらいだったんですね。それでも話しかけづらかったんです。「くだらないことは言えないな」って。実際に怒鳴られたりもしていましたしね。
そういう意味では、アイトライの社長は、最初から、なんでも話せるというか、話しかけやすい雰囲気でした。いろいろなタイプの人がいると思いますけど、話しかけやすい社長がいる会社の方が私には合っているんじゃないかな、って思いますね。

――今は新卒の方も増えているとおうかがいしましたけど、アイトライの社員に共通することってありますか?

皆、話しやすい人ばかりで、物静かな人がいないです(笑)。割と賑やかで、似た者同士が集まってくるんじゃないですかね。 そうじゃない真逆のタイプの人も必要かもしれないですけどね。企業としてバランスをとって、いろいろな人からいい影響を受けるっていうのも大切だと思います。同じ感じの人ばかりだと、マンネリというか、停滞してしまうというか。
ただ、その点では、皆、現場に行っているんで、現場でいろいろと経験して、またそれを持ち帰ることができるっていうメリットがあります。そこはいいかもしれないですね。

――「痛車」好きな社員は他にもいるとうかがいました。

いますね。何人かいますし、「興味がある」っていう新人さんもいるみたいですね。

IT系には、オタクって多いんですよ。ゲームとか、漫画とか、そういうのが好きな人が多いと思うんです。だから、共通の話題から、話が弾むことが多いんです。私の場合は、行く現場、行く現場、何かしらオタクな人に出会っていますね。各現場で、仲良くなって、家に遊びに来るような関係性ができたり、旅行に行く仲間ができたり、そういうのも嬉しいです。

■自分にできないことは、周りの人ができればいい。その逆もしかり。それがチームで働くということ

――今後のキャリアについては、どう考えていらっしゃいますか?

この業界で働き続けるためには、やっぱり知識は深めていかないといけない。コミュニケーションは、私のキャラクターも含めて、今のままでもいいと思うんですけど、技術スキルや知識は深めていかないと担当できない仕事が生まれてしまう。なんとかしなくちゃなって思いますね。

――私、あまり詳しくないんですけど、芳賀さんは、コマンドが苦手とか?

ITの仕事をしていると、切っても切れないのが、コマンドなんですよね。パソコンに処理を指示するための、画面でいろいろ英語を打ち込む作業なんですけど。私、英語は本当に苦手なんです。眠くなっちゃうんですよね。

――でも、仕事では必要なんですよね?

なるべく、あまり必要でない仕事をさせてもらっていますね(笑)。こんなのって、私だけだと思いますよ。自分でも嫌になっちゃいますね。IT系なのに、ってね。

――それでも、活躍されていらっしゃるのが素敵です。

運がいいだけだと思います。私ができないことも、周りの人ができればいいんじゃないかな、って思うんです。逆に、周りの人ができないことを私ができるなら、それでいいんじゃないか、とも思います。それで現場ではバランスが取れますもんね。人と働くって、チームで働くっていうことだと思うんですよ。…こんなこと言っちゃだめですけどね(笑)

――周りの人たちに「芳賀さんは屈託がない」って言われるのは、こういうところからなんでしょうね。

どうですかね(笑)。

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